ひろしま
1953年の映画「ひろしま」を見た。山田五十鈴、月丘夢路、岡田英次という錚々たる俳優が出演していて、その名前を知っていたが、映画そのものは初めて見た。
映画は、被爆から7年経った、広島の高校でひとりの女子高生が白血病に倒れるところから始まる。その女の子や同級生たちの家族に何が起きたかという回想で、あの1945年8月6日の惨劇が「再現」されていく。長田新が編んだ「原爆の子」が原作で、実際に体験した子供たちのエピソードを集めて物語は作られている。
この映画は日本教職員組合、つまり日教組の先生たちのカンパ2700万円を元手に製作された自主映画であったため、大手映画会社の配給網に乗ることが出来ず、なかなか全国に広がることがなかった。人の目に触れる機会を失っていた。むろん、作られた当時はそれなりの話題にもなり、外国で受賞するという栄誉などもあったのだが、おそらく五社協定などによって、映画は不当に低い扱いになってしまったのではないだろうか。
そういう自主制作のために、映画作りには広島市民が延べ9万人エキストラとして参加している。この人たちが亡くなった人たちに代わってあの惨事を”生きている”。その状況が実に生々しい。事件から7年しか経っておらず、市民に記憶がリアルに残っていたのだろう。まるで実写を見るような画面が次々に現われる。疎開作業で集団で被爆した女学生、中学生たちの姿があまりに幼い。こんないといけない子供たちが銃後の守りをやらされていたのか。戦時下の現実をあらためて知る。被爆直後、傷ついた子供たちが集まってスクラムを組んで、校歌を歌って互いに励まし合う画面に思わずまぶたが熱くなった。
この映画を知ったのは32年前にアメリカへ行ったときのことだ。スペイン戦争に参戦した日系人ジャック白井のことを調べにニューヨークへ入った。東京で石垣綾子さんから紹介状をもらって、秋谷一郎さんと会った。ルーズベルト支持のリベラルな人物だ。秋谷さんは市民運動に長年携わってきていた。そのなかに「ひろしま」上映運動があった。アメリカ市民に原爆の被害を訴えたいと秋谷さんたちは映画と丸木位里、俊らの「原爆の図」の展覧を、ニューヨークの下町で行っていた。その思い出を語っていただいたときに、この映画のチラシを目にしたのだ。
映画の存在は知ってはいたが、実物を見る機会はなかった。それが、このほどこの映画の関係者によって再発見されて、上映会のはこびとなった。これから全国展開が始まるそうだ。ぜひおおぜいの人たちに見てほしいと思う。映画で、7年経過した広島で白血病などが多発する場面がある。複雑な想いがよぎる。福島原発事故で発生した放射線は、この広島の数十倍もあるとすれば、その結果はどうなるのか。
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