こんな批判があった
「今、私は新しいソナチアン像をもっている。それは、冬のソナタで韓国
ドラマに関心をもち、以降たくさんの韓流を視聴してきたものの、ここ
へ来てやはり「冬のソナタ」が一番と再確認してきている人、このドラ
マの素晴らしさを他との比較で考えず、これ以外のドラマには目がいか
ない人たち、を「ソナチアン」と呼んであげたいのだ。」
と私は書いた。すると、こんな批判があった。
《「呼んであげたい」という表現は、失礼じゃない?なんだか彼女たちの
一途さに対する尊敬というより、憐れみからの愛情を感じる(もちろん、筆者が
そうではないことは承知はしているが)。
むしろ、「新しいソナチアン」と言うからには、新しいネーミングが必要。
「冬のソナタ」に出会い、韓流に興味を持ち、自らの行動でその世界に分け
入ってみた人たち。その結果、やはり「冬ソナ」に還ってきた女性たち(そうでない、
他の韓流に行った女性もいる)。
そこにはなにか、特別な理由が隠されているような気もする。》
ふーむ。これは鋭い。確かに「ネオ・ソナチアン」の像を、もっと深く知る必要が
あろう。かつその流れを見極めることも大切だ。
私は、ここに池明観先生が言う「市民的、友愛の精神」の機運があるように
思えるから。
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