テレビを考えるスペース
渦中にある者はその意味を問う余裕がない。
テレビ批評を読むたびに、この評者はあまりテレビのことを知らないな、出版のやりくちと同一視しているなと、物足りなさを感じることが多い。かといって、現場を体験したから作品の評価ができるのでもないのではあるが。
テレビという現象が世界でもっとも成功し繁栄し堕落したのは日本とアメリカではないだろうか。イギリスにはBBCという古ツワモノがいることは承知しているが、産業的、商業的に成功したのは先の2国じゃないだろうか。
1950年、日本でテレビ放送の試験電波が飛び始めた。アメリカで行われていた、広告収入を元手に放送を行うという、それまでの日本にはなかった商業放送というビジネスモデルが立ち上がったのもそのときだった(はず)。テレビの威力を見せ付けたのはプロレスの実況放送だろう。力道山、木村がシャープ兄弟らと戦う姿(実際に熱狂したのは、やっつけられた日本組が反撃を開始するときの快感だった)に、子供でなくオトナがしびれた。初めて、その光景を見たのは銀座で見た街頭テレビだった。プロレスを見ようとするオトナたちでごったがえしていた。田舎から父に連れられて銀座に来たものの、小さく光る白い箱に千人ほどのオトナが夢中になっていることに魂消た。それまで、オトナというものは娯楽などにうつつを抜かさない謹厳な存在だと信じていたから。
その次のテレビは、皇太子ご成婚の映像だった。1959年(昭和34年)4月10日、私の暮らしていた地方は雨だった。4月にもかかわらず冷たい雨だったと記憶する。駅前のテニスコートに数十本の柱が立てられ、ご成婚パレードを中継する画像のテレビを置く台も完成していたが、雨天になったため、テレビは外され、ただ柱が林立する会場となった。人影はまばらで、未練で去りがたいのは私を含めて数人しかいなかった。
だから馬車でパレードする皇太子夫妻というのを、実況で私は見ていない。後日、ニュース映画で見たと記憶する。ただ、この出来事のあと、うどん屋や電器屋はみな店先にテレビを置くようになった。テレビ目当ての客をあてこんだ。映画「3丁目の夕日」でも、この光景は描かれていた。全国で同じ現象が起こっていた。
テレビの底力は全国同じという現象を作り出したことだ。それまで地域差があった。近畿と中京、中部地方のなかでも名古屋、岐阜と石川、福井。みな差異があった。ところが、テレビを媒介すると、すべて同じ風土となっていく。遊び、噂、行事、娯楽、どこへ行っても同じ話題が出るようになった。
ちょうどこの頃、スーパーマーケットという小売の形態が現れた。店頭にジュースの自動販売機が据えられた。[ つづく、みたい)
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