隠居の年齢
時期が来ると野の草は花が咲いたり葉をもちあげたりするものだ。冬がれになると石蕗の黄色い花が咲いて、早春になるとぜんまいが体を起こしてくる。それぞれ時分を得て活動が始まる。
人生でもそうかなと振り返って思う。どんなに目立たない人でも、時期が来て活躍をしていったもの。逆に栄耀を誇った人も時期を外れれば舞台から去っていった。
64歳という年齢は、そのフェイドアウトの瀬戸際にある。65歳で今の雇用状態は終わり、完全に身分はフリーつまり職なしとなる。いや仕事を失うわけでなく、働く身分がなくなる。年金支給年齢に達するから、それをあてに生きる。だが、もし仕事を続けるなら年金受け取りを延期して、自分の収入を確保して生きるという道もある。
さて、どうしようか。58歳で最初の定年をむかえたときから、少しずつダウンサイズしてきたが、去年の秋に思いがけなく、番組で受賞することが続き、少し調子にのった。まだオレはやれるぞ、やることがあるのじゃないかと欲が出た。
出来上がった番組を批評したり、直したりするのは苦じゃない。だが、取材したりロケで遠出したりインタビューで対象を追いこんだりする気力はがくんと落ちている。
自分で企画を立てて、取材をして、周りからやいやい言われながら編集をして、ひとつの形に仕上げるという番組制作の王道はもう無理かもしれない。部分的な介入は出来ても、全面制作は体力も然りながら気力も続かない、気がする。
だが、番組を構想しているときのわくわく感はけっして消えていない。周りで、番組の編集や取材で行き悩んでいるのを耳にすると、つい助言したくなるのは終わっていない。それどころか、若者の中途半端な作品を見ると、ぶっ飛ばしたくなる。
でも、番組制作というのは、ある意味、体力勝負。徹夜を最低2日出来ないと、構成番組は無理だ。そんなことはもはや無理。胃がんの手術以降、めっきり体力には自信をなくした。それやこれやの迷いのなかで、今また気がついたら、3本の番組をかかえて走っている。そればかりか、秋に大きな作品をやってみたいと、関係者をまわって取材許可をとりつけようとしている。
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