パニック障害とうつ病
南木佳士の小説集を昨日入手して、明け方2編ほど読んだ。「神かくし」という作品が人の一生の終わりということを考えさせて心に残った。
南木は私より2歳下、同世代。信州の病院に勤務する現役の呼吸器科の医師でもある。
芥川賞を受賞した翌年、突然得体の知れない空虚感にとらわれる。パニック障害とうつ病
の始まりであった。南木自身の見立てによれば、長年肺がんの患者の治療にたずさわり、そのあっけない儚い死をあまりに見過ぎたということによるという。
その後、生き方、働き方を大きく変更して、その病と共生することを南木は勤めてきた。
50歳から、信州という地の利をいかして、近郊の山歩きをするようになった。
仕事柄、40代になるかならぬかでうつ病をかかえる南木だが、凡人であるわれらも50代の半ばになると人生の空虚さを感じて、「死」ということが眼前に登場するようになるものだ。だから、南木の小説も遠い話でなく、身につまされる物語として受け止めている。
「神かくし」は、心を病んだ医師が患者の田村さんという90歳になる老女との交流を描いた作品。10年前に死に掛けた田村さんと主人公の間に、ある「しこり」があるが、その後も主治医の立場は続いている。
ある秋の日曜日。朝早く、山へきのこ狩りに行く田村姉妹を見かけて、主人公も連れていってもらうことから小説は始まる。田村妹も80を過ぎた高齢だろうが、姉とちがって女らしく控えめ。くらべて姉は主治医に対しても横柄。対照的な姉妹にみえる。
きのこ山に入って、最後にきのこ汁を作って食べる。その間に、去来する田村姉の看病記が隠れた主題となっている。
医師でありながら、うつ病を病んでいる主人公は自分に否定的。人生の終末に対しても医師らしくない観方をしている。一方、田村老女は死に対しても生に対しても覚悟をもっている。その二人の裂け目が物語りの終末で鮮やかに切り出される。
明け方の4時に読み終えて、しばらく眠れなかった。
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