ちぎれ雲倶楽部 1号
東京オリンピックが開かれた1964年、昭和39年。高校2年生だった。この年の春休み、石川県鶴来の白山青年の家で「ちぎれ雲」を聞いた。福井、石川、富山の教会に通う高校生の修養会が開かれて、ぼくも参加した。金沢からミッションスクールの女子高生がたくさんいた。
武生から来ていた1年上の佐藤先輩は歌が得意だった。賛美歌練習の合間に、いい歌を教えてやろうと言って聞かせてくれたのが「ちぎれ雲」だった。
その会場で出会った出来事や人物は、その後に続いていくぼくの青春に大きな影響を与えていくのだが、それは措いて、歌のことについて語る。
♪ちぎれた、あの雲 飛んでいくその日は
と歌いだしから、雲に向かい叫ぶ「キミだけが好きだよ」とのエンディングまで、一度聞いたら、すぐ好きになった。
時代は歌謡曲からポップスに移っていく。舟木一夫、西郷輝彦、梶光夫らが歌っていた青春歌謡は、加山雄三、荒木一郎らのポップスや佐々木勉、ブロードサイドフォーらのフォークソングにとって変わられていく。転形期だった。
歌謡曲というのは味噌汁の匂いがして、どこか貧乏くさい。そこへ行くとエレキが鳴り響くポップスはコーラの爽やかさ、はつらつがある。フォークは歌に知性を感じさせた。それまで、新川次郎の「東京に灯よいつまでも」などにうっとりしていたのが、「君といつまでも」「僕のマリー」「星に祈りを」とかに魅せられていく。
そんななかで見つけたのが、この「ちぎれ雲」だった。歌謡曲の名作じゃないかと興奮した。(次の倶楽部2号に続く)
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ファン倶楽部のメンバーを募ると呼びかけたら、早速mameda さんからアドレス付きで返事が来た。mameda さんが会員番号1となる。倶楽部会報は不定期で、このブログで発表する。だから投書はブログのコメントで非公開にして送って。それを、私が匿名化、翻案して記事にする。(あなたのちぎれ雲体験を教えてください)
まずは、この歌との出会いのエピソードを集めることにする。次に、歌を作った水島哲、北原じゅんの横顔を報告。終わりに歌手高木たかしのその後を追いかけてみようかなと、いろいろ構想する。だが、仕事をしながらは難しいから、ぼちぼちやってみる。
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追伸:最近、歌謡曲の偉大さを喧伝させたのは、由紀さおりだ。彼女の快挙はすごい。先日の「SONGS」で、彼女は自分の歌をしっかり歌謡曲と規定していた。胸が熱くなった。
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