強迫行為が転じて馬上、枕上、厠上
昨夜の8時を回った頃だ。読んでいた萩原葉子の『いらくさの家』のページを繰る手を止めた。何かが「危険」という信号を送ってきた。微かに私の頭のなかで弾けるものがあった。目黒の家で一人でいたときのことだ。
金曜の夜、ひとりで大磯の家に泊まって、広島原爆に関する資料を引っ張り出してあれこれ考えた。誰もいない大磯の家は静かで、考えに集中できる。番組の企画書を作るのもこのやり方だ。環境が静謐であることに加えて、資料が豊富であることがいいのだ。納戸に昔長崎時代広島時代に入手した書籍やデータが雑多に放り込まれている。
この夜は冷え込んだが、ストーブをがんがん点けて広島放送局の黄金期80年代の資料をがんがん読み込んだ。思わぬ事実を見つけて一人で小躍りもした。次の日の朝、パンと紅茶だけ口にして、戸締り火の元を点検して、大磯の家を出た。
その最後の点検のことでぱちんと頭の中で弾けるものがあったのだ。
電源は止めた、ガス栓はたしかに閉めた。だが、・・・
風呂の水道の栓はきちんと閉めただろうか。昨夜、一人で風呂に漬かったあとは湯を捨てた。最後にバスタブに水を流して洗い、自動湯沸し機のボタンをオフにした。水道の栓には触らなかった。だから、水は止まった状態になっているはずだ。
だが、水道の蛇口から水がぽたぽた落ちているイメージが私の脳内にぱーっと広がる。打ち消しても、そのイメージはなかなか消えない。放置しておいたら、何か悪いことが起きそうな気がしてくる。じりじりしてくる。大磯へ帰るか!?
時計を見ると、まもなく午後9時になろうとしている。今から品川へ出て、山上の家に戻るのは10時を回るだろう。そこで点検をして家を出て再び駅に向かうと、上りの電車に乗るのは、どんなに早くみても10時半。それで品川まで出て、目黒へ帰るのは午前0時を回るにちがいない。しかも、夜が更けて外はますます冷え込んできた。人っ子一人いない山道はおっかないぞ、寒いぞ。逡巡すること数回。
結局、思い切って出かけた。カバンには原稿と筆記具をつめて、セーターを2枚重ね、キルティングのコートを羽織り、マフラーを首にぐるぐる巻きにして、完全防寒で夜の東海道を南下した。コートの内ポケットにはウィスキーをしのばせておいた。
日曜の夜8時だというのに、東海道線の乗車率は120パーセント。坐る席がない。横浜まで立っていた。座席についてから、私は原稿を取り出して、赤ペンを入れることに精を出す。周りがざわざわしているから、睡魔が来ない。10ページほど夢中でチェックしていたら、いつのまにか平塚まで来ていた。
10時前、大磯着。駅を出て家に向かう。夜道に人は誰もいない。
ツヴァイク道に入ると、ますます総毛立つような恐ろしい夜道。道の入り口で枯れ木を取り上げ、護身刀とする。それをびゅんびゅん振り回しながら、夜道を駆け上がった。
家にたどり着いてチェックをする。案の定、風呂の栓はしっかり閉じられている。
他の火の元もすべてオフになっている。
再び、元来た道を引き返すが、下りは早いし怖くない。あっというまに上りの湘南新宿ライナー籠原行きに乗り込む。さすがに10時過ぎの上りには人は乗っていない。4人掛けボックス席に陣取って、私は原稿の続きのチェックを開始。平塚、藤沢、大船、横浜、武蔵小杉、およそ50分、私は集中した。
古来中国では、いい考えを思いつくには、馬上、枕上、厠上という。馬の上か、寝ながら枕の上か、トイレの中で考えるかという意味。夜汽車で勉強がはかどった私は、さしづめ車上か。
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