100歳の人生
岩橋邦枝の『評伝野上弥生子 迷路を抜けて森へ』は面白かった。書き下ろしの作品と裏扉にある。岩橋は何年かけてこの評伝を書いたのだろう。その筆力と人を見つめるまなざしの強さ、読みの深さに驚いた。
野上は99歳と11か月生きた。最後まで“文学者として”年をとった。これは夏目漱石の教えでもあったと岩橋は説いているが、弥生子は終生その教えを守ったことになる。
それにしても華麗な人生だ。デビューに漱石と出会って教えを受け、漱石門の俊秀野上豊一郎と結婚し、初恋の慕情を美男中勘助に抱いた。しかも弥生子が結婚してからもその思慕は数年続いたと岩橋は書いている。華麗な人生はこれでとどまらない。友人に宮本百合子をもち、その関係で宮本顕治とも交流し、夫豊一郎没後には哲学者田辺元に60代で恋をした。その豊かな感情生活を土壌として、『迷路』、『森』という骨太な小説をものすることになったのだ。
家族関係においてもきわめて円満にして華麗。夫は法政大学総長まで務め、その任の最中に他界したが3人の男子をもうけた。長男素一はイタリア留学を経て京大教授、次男茂吉郎は東大教授 、3男耀三が東大教養学部長と秀才揃い。弥生子も相当な教育ママぶりを発揮したこともあって、次男は隣に住み、3男は向かいに住んだ。弥生子が死去したとき3男は病床にあった。「母より先に死ねない」と言っていたが、4か月後死んだ。3人の息子はこぞってマザコンに仕立てたのだ。岩橋の評伝はこれまでの野上弥生子像を打ち砕くかのようなリアルで辛辣なまなざしで、彼女の文学人生を洗いだしている。根底に筆者の野上に対する敬慕があるから、嫌な感じがしない。
野上と大江健三郎の関係も興味深い。野上の葬儀では委員長を谷川徹三が勤め、司会を大江が担当するほどの仲であった。
両者は同じ成城に住み、北軽井沢の大学村で山荘の軒を連ねる仲であった。
ある夏の終わり、北軽での出来事。大江は光を連れて川遊びに出かけた。清流で光を遊ばせていた大江がふと視線を感じて見上げると、山荘の窓辺に立って、光をじっと見ている野上の姿があった。というエピソードを大江から聞いたことがある。
100歳まで明晰で冷静な認識を保ち続けたというこの大きな理性に惹かれた。ところで、なぜ今野上弥生子の評伝が出版されることになったのだろうか。時代との結びつきを気にするのは、われわれテレビ屋の悪い癖ではあるのだが、やはり気になる。
とここまで書いて目黒図書館に行った。そこで、『人間・野上弥生子「野上弥生子日記」から』(中村智子)という1994年に出版された本を見つけ、すぐさま読んだ。すると、今回の評伝とまことによく似た内容であることに気がついた。てっきり岩橋のオリジナルと思っていたのだが然にあらず。むしろ、中村本のほうが事実関係はよく書けている。うーん、複雑な心境だ。ますます、今回あえて野上を取り上げたのは岩橋にふくむところ、もしくは期するところがあったのか。
それは何だったのか。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング