今年はひとつ実現させましょう
昨夜もよく冷えた。雪にはならなかったが、時折落ちてくるものがみぞれのようにみえた。
6時過ぎ、自由が丘の駅前で森島さんと会った。二人だけの新年会である。氏は昨年大きな病気を体験したが、すっかり寛解している。だが線路端の馴染みの居酒屋に入ったら分かったのだが、酒量も制限しているし、必ず酒を飲む前にコップ一杯の真水を飲むようにしていた。脳梗塞などの予防である。こういう冷え込んだ夜こそ気をつけなくてはいけないと慎重だった。
森島さんが円谷プロの社長だった頃、六本木ヒルズの森美術館でウルトラマン展をご一緒して以来の交流を重ねている。元は故内田勝の紹介で会ったのだが、国際的な仕事を長年にわたってやって来られた氏の高い見識に惹かれて、お付き合いを願っている。私より2,3歳年長だが、あの名作「南極物語」をプロデュースするなど、映画作りでも大変な実績がある。2年前には東大でサブカルチャーの講座ももっていた。
森島さんはハリウッドで長く仕事をしたり、初期の香港映画の立ち上げに力を貸したりするなど国際的な仕事が多い。日本のアニメがまだ幼年期だった頃に、作品を欧米に売り込みに行った仕事もあったと、懐かしそうに語る。
「去年でしたか、ワールドカップでヨーロッパの名選手が語った言葉が忘れられませんよ」と氏はにこにこしながら語った。
その選手がサッカーを始めた動機は、「「キャプテン翼」を見たことからだと会見で答えていたのだ。まだ、アニメの魅力が浸透していない時期に、森島さんはひとりヨーロッパにわたって各国の放送局の調達部門と渉りあって、この作品を売り込むことに奮闘していたのだ。当時は、日本国内でもアニメは子供風情の娯楽という認識でしかなかった。それが、最近では文化庁の役人ですら「アニメは文化」なんてことを言うのだから、森島さんにとっては隔世の感があることだろう。
この酒席で森島さんは興味深い表を見せてくれた。日本のアニメの発生史だ。40年以上にわたってアニメの仕事に携わってきた氏が、あらゆる資料を駆使して、10数枚の表に仕上げていた。一読してその資料の貴重がすぐ分かった。新しい番組の企画にもふさわしい。「今年はいっしょに何かしましょうよ」と声をかけると、森島さんも大きくうなづいた。
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