冷たい雨の朝に
誕生日を過ぎて、いよいよサラリーマン定年まであと1年となった。これから残された時間で、どんな番組を作ることができるのだろうか。いや、そんな短い人生時間だけでいいのだろうか。死にゆく時間までを見晴るかした晩年期の設計を立てるべきであろうか。寒い朝の寝床のなかでじっと考えている。うまい考えが浮かんでくるわけではない。
窓の外を見ると、久しぶりの雨が降っている。冷たそうな雨だ。東京では30日ぶりのお湿りだとか。週末は雪に変わるかもしれない。東京は1月下旬に雪となることが多い。この大寒を超えると春。
今年の春はと思うと、不安が渦巻く。去年3月11日の悪夢はまだ消えず、それどころか昨夜も2回ほど関東地方に地震があって、3月には再び大きな地震津波が襲って来るのではないかという疑心がなくならず不安が消えない。
自然災害の荒々しさを知らされたあとでは、なかなか「四時」と古人が呼んできた自然を愛でる心も起きないものだ。いつもなら冬の夕焼けや流れる雲に心を奪われるのが、今年は自然の彩が鮮やかであればあるほど地震の予兆ではないかと疑りたくなる。
時間の物差しが変わった。2010年以前は、歴史を考えるにしろ戦後60年か明治からの140年ぐらいしか意識が及ばなかった。が、大津波を体験したあとは貞観の時代であるとか、もっとそれ以前の、つまり有史以前の大破壊の時代にまで時間軸は広がっている。もはや人類が文字で書き残すような事象だけでは、私たちの生きている基盤を認識したことにはならなくなっている。
それにしても、福島原発事故の爪痕は深い。阪神淡路大震災の一〇年とは比べ物にならない。これから何十年いや数百年と被害の跡がありつづける。これから生きていく世代こそ自らの歴史を決定する権利があるはずだ。政治はその世代に決定権を渡すべきではあるが、システム的にはそうならない。依然、昭和の政治家が牛耳っている。
・・・だんだん悲観的なことを考えてしまう。
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