定年再出発 |
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嗚呼
4日夜に訃報に接した。敬愛する先輩が長い闘病のはてに亡くなった。享年67、と思う。 仕事について、最初の赴任が大阪梅田であった。そのときの先輩で、大阪大学を出た秀才だった。背の高い、彫の深い面立ちのその人は明晰にして誠実かつ沈着の人物だった。 70年代、政治の季節は続いていたから、三里塚や動労のストなどで浮き足立っている私を側からいつも冷静に批判してくれた。だがけっして自分のイデオロギーを押し付けることはなく、それは本当だろうか、それでいいのだろうかと問いかけてくれる存在であった。私が生意気な口をきいてもけっして抑え付けたり説教を垂れることはなかった。 74年に二人そろって東京へ異動になった。私は荻窪の独身寮へ、その人は代々木の世帯寮に住むことになった。結婚して先輩には一人娘がいたが、夫人が大阪府の職員ということで単身の赴任となった。お互い独身の気楽な身分ということで、週末はよくつるんで遊んだ。といっても酒盛りをするかドライブをするかであったのだが。そのとき先輩から紹介されたのが森さんだった。高校時代の友人で都立大の空手部の主将だったという森さんはガタイのいい豪傑だった。関東選手権でチャンピオンにもなったことがある実力者。工務店に勤めていたと思うが、空手のほうが本職のような暮らしをしていた。3人で酒を飲んで、よく議論をした。天皇制をめぐって私と森さんがやりあうのを先輩は面白そうにいつも眺めていた。 高校まで川崎に住んでいた先輩は首都圏にも土地勘があり、週末には湘南や横浜によく愛車カローラを飛ばした。助手席に座った私にナビゲートという英語を教えた。先輩は阪大ESSの主将だったのだ。 夕方に西湘バイパスを走ったとき、大磯あたりの夕景が心に残った。後に大磯に終の住み処を求めたのもその体験があったのだと、今になって知る。 赴任した東京でその後も私は住み続けるが、単身赴任の先輩は3年で大阪へ戻って行った。それからしばらくして大きな病にかかって長期の入院をしていると聞いた。あの頑健そうな人が病気とはどういうことかと不思議に思うが、一方で薬を常用していて腎臓に障害があると呟いていたことを思い出した。 先輩はそれ以降透析をしなければ生きていけない身体になった。4,5年に一度大きな入院を繰り返すようになる。幹部として嘱望された先輩だったが、窓際に座る境遇に変わった。ときどき大阪へ会いに行ったが、いつも穏やかで、私の作った番組をあれこれ褒めてくれるのであった。 8年ほど前になるだろうか。京都の大学の帰りに大阪へ寄って、先輩の職場を訪ねた。 車椅子で私の前に現れたとき、胸が衝かれた。顔には深いしわが刻まれるだけでなく、苦悩で顔そのものに歪みがあるように見えた。出勤することすら辛いように思われた。 その2年後、入院していると聞いて、江坂の病院を見舞ったことがある。車椅子で応対してくれたが、言葉はしっかりしていた。その後は手紙の交流となった。 昨年秋、先輩の具合がよくないという噂を聞いたので、京都のジローさんを誘ってお見舞いに行こうと計画した。ジローさんが先輩にその旨を伝えると、来ないでいただきたいという返事があった。それを聞かされて、すぐケータイのダイヤルを私は押した。先輩は「おう、久しぶりだね」と言って出てきた。「君が言いたいことは分かるが、今のぼくの気持ちはそういうことなんだよ」と、私の言葉を最初から封じた。「もう少しよくなったら、ぼくのほうから連絡をとるから」と言って電話は切れた。 たしかに容態が悪いようだが、今すぐということでもあるまいと、私は自分に言い聞かせた。現に、今年も賀状が届いた。折り返し返事の賀状を投函した次の日に、訃音を聞く。 明け方、目が覚めた。日の登る前の暗がりのなかでじっと先輩のことを思う。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2012-01-05 08:16
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