時代遅れの子守歌
パソコンを開くと、2012年1月という日付が現れる。去年購入したからタイムコードが向こう10年ぐらいはセットされているのだろう。そこまでパソコンの主人が生きていると思っているのかと憎まれ口をききたくなった。
吉屋信子の好きな新年句
初暦知らぬ月日は美しく
何が起こるかまだ知らない時分に眺めるカレンダーというのは、希望に満ちていて美しいもの。さて、今年はどういう年になるだろうか。
パソコンや電子道具の取り扱いがだんだん難しくなっている。もともと理系の頭ではないからプログラムとやらについて行くことは苦手だ。そもそもコンピューターが暮らしのなかに入り込み始めた時期に遠ざけたことなどが今になって祟っている気がする。
ゲームというのはまったくやらなかった。インベーダーゲームなんてものが喫茶店のコーナーに置かれるようになったときも、ただ煩いものにしか思えなかった。任天堂のスーパーマリオが登場して、息子が夢中になっているのを横目でみて、こんなものが面白いという感覚が分からなかった。マリオのソフトを買ってほしいと泣いてねだった日のことを思い出す。
家族で出かけた週末のことだった。自由が丘駅裏の電器店の店頭にマリオの新製品が並んでいた。息子は熱心にパッケージなどを調べていたが、興味がない私は他の店に移ろうと娘を抱いた家人をうながしてガードのトンネルのほうへスタスタ歩いて行った。追いかけて来た息子はべそをかきながら、あのマリオが欲しいのだと上目使いでねだった。
そんな泣きながら訴えるようなものかと呆れたが、こどもの姿がいじらしくて「分かった、分かった」と言って電器店に引き返した。たしかに小学校低学年の買い物にしては高価であったが、でもたいした金額ともいえない。買い与えると、嬉しそうな顔でパッケージの包みを大事そうにかかえた子供のしぐさが今も眼裏にある。
あの頃からゲームを通してパソコンの動作に慣れ親しんできた世代とは格段の差があるのは当然といえば当然だ。
今では息子と同年の社員に、パソコン作動がトラブルと訊ねることもしばしば。身内に聞けば煩がられるから他人の息子に聞くのが一番だ。しかし生意気な現在の息子を見ていると、あのべそをかいていた少年を重ねようとしても重ならないのはなぜだ。
とにかく時代遅れになりつつある自覚がだんだん大きくなっている。あえてついて行きたいとも思わない。いまだにメールもケータイで打てないし受け取らない。クレジットカードのパスワードも使用しない。スイカも利用しない。アマゾンも一度使ってそれきり。そのうち行動範囲が狭まって図書館と映画館とツタヤぐらいになるだろう。それはそれで結構とひらきなおっている。
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