茫々となりゆく日
22日は母の命日だった。亡くなって2年になる。早いものだ。ついこのあいだ、大騒ぎして母を送ったとおもったら2年も経っていた。今回の原稿騒ぎでその日であることをすっかり失念。罰当たりな長男である私は。クリスマスイブという声を聞いて、母の命日を思い出した。
東京は寒いが空は晴れ渡っている。田舎敦賀じゃ考えられない。北陸という地はまことにどんよりする日が多く、この時期に寒波が来れば大雪になる。雪のクリスマスが、中高生の頃多かった。クリスマスキャロルで市内の信徒の家々を訪ね歩いたことが懐かしい。母が死んで教会とも縁がじょじょに遠くなる。
北杜夫が10月に死去して、追悼の刊行が相次いでいる。なかの『巴里茫々』を読んだ。北の最後の作品といわれている。2000年の「文学界」6月号に掲載された中編自伝小説。難しい表現はとっておらず読みやすい文体。巴里に住む辻邦生、佐保子夫妻を訪ねて10数年間にわたって交流したことを、著者はなつかしく思いながら振り返っている。素直で、しっとり心に沁みこんでくる佳作だ。
北と辻は松本高校で先輩後輩の関係であった。一つ下の北は辻を敬いあまえた。真面目で責任感のある辻はこの躁鬱の作家に手こずりながらもよく愛した。旧制の高校生の友情というのはそこはかとなくセクシャルだ。ふたりともトーマス・マンが好きで、なかんずく『トニオ・クレーゲル』がお気に入りだったというのはよく分かる。ふたりはチューリッヒのマンの墓をいっしょに詣でている。と、この本に書かれてあった。
しかし、辻邦生の死は早かったな。まさか北よりあんなに早く死ぬとは思わなかった。北自身も同様のことを感慨をもって記している。いずれにしても、北にとって辻を偲ぶこと、パリで遊んだことを想起することは、2000年の段階で茫々になりつつあったのだ。
その後、短い文章を書いたかもしれないが、北の小説らしいものはひとつもない。そのまま11年過ぎて、あっけなく死んだ。ということを阿川佐和子と北夫人、長女の週刊誌の対談で知った。
朝、宅配便が届いた。品物を開けると、葬儀のお返しセット。先だって亡くなった職場の上司、座間味朝雄さんのものだ。なかにある添え書きを読むと、今月号の『世界』で、座間味さんの研究論文が掲載されるとか。題して「情報の絆~米軍の情報分断策と戦った沖縄」。座間味さんは現役最後に沖縄放送局の局長を務めた。もちろん名前のとおり、ルーツは沖縄にあった人だ。そのことを晩年よく意識して、仲間といっしょに沖縄研究を行っていた。その成果が、死後、総合誌に掲載される。今月号から3回にわたって掲載されるというから大変な労作なのであろう。さっそく書店へ行って購入しよう。
暮れになると、亡くなった人の消息があれこれ出てくる。これも、当方が馬齢を重ねたというあかしか。
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