寒いといっても、この程度ぐらい
朝の瞑想の前、ベランダのガラス戸を開ける。冷気が入って来る。少し寒いが、それよりも爽やかさのほうが大きい。
小学校の頃、12月初旬ともなれば霜が降りていた。霜をぐちゃぐちゃつぶして登校したものだ。低学年のときはまだ足袋を履いていた。下駄と足袋で学校に通っていたのかな。記憶があいまいだ。
あの頃は寒かった。朝8時過ぎに教室に入ると、まっすぐストーブの前に走って行った。柵の前に椅子を並べてわいわいおしゃべりをしたものだ。担任が回って来て、「子供は風の子」と叫んで、校庭で走って来いと指示する。仕方なく、足袋を脱いで、冷たい廊下を走りぬけ、さらに冷たい大地に足裏を置いた。飛び上がりたいほど冷たい。
だが、それも5分も経てば、みな鬼ごっこで走り回っていた。
今はサッシの窓になっていてすきま風など吹かないが、あの頃は自宅も学校もどこでも隙間風が吹いた。これが寒さをいっそうつのらせたものだ。むろん、子供はお湯など使えない。朝の顔を洗うときの寒さ、冷たさは忘れられない。
前の晩にランドセルに入れる教科書などの道具合わせをしておけと親からいつも言われていても、いつも朝の慌ただしいなかでやった。
案の定、忘れ物はしょっちゅうだった。いつか、非番の父が私の忘れた教科書を届けにクラスまで来たとき、廊下に立たされている私を見て、何も声もかけず回れ右をして帰った。その夜、夕食のあいだ、ずっと小言というか苦言というか、説教をくらう羽目になった。
電気ごたつはまだなかった。やぐらこたつを使用していた。夕飯が終わると、火鉢の炭をこたつのやぐらに移し替えが行われた。宿題は寝床に入ったままやった。だから最後まで達成せず、途中で眠り込むこともたびたびだった。割り算の計算が苦手。特に「余り」を出す方法がなかなか理解できず、いつも後回しにした。その空白の割り算を残したまま登校する。学校までの寒い道のりのなかで、先生にまた叱られるのだと思うと憂鬱だった。かといって、ずる休みをして家にいることなんて考えられなかった。友だちと野球をしたり肉弾をしたり、水雷艦長をしたりすることがめっぽう楽しかった。
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