偉大な女優
最近、高峰秀子とか池部良といった映画全盛期のスタアが書いた自伝をちょくちょく見かける。ここ1,2年のうちに物故したこともあって回想の手がかりとして重宝されているのかもしれないが、この二人の知性は端倪すべからざるものがあって、彼らの著作を読んで損をしたということはない。
数年前、この二人に密かに出演交渉したことがある。正式なルートではなかったが、回顧録を撮らせてほしいと依頼したのだが、お二人ともそのつもりはないと至極あっさり断られた。こちらもあっさり諦めたのは、まだ当分はいいだろう、そのうちに撮ればいいとあまく考えていたからだ。だが相次いで亡くなり、享年を調べて、しまったとホゾを噛んだ。高峰は86だったし、池部は90を超えていた。元気そうに見えても、何時逝っても不思議ではない黄金の年齢であったという当たり前のことに、“事後”気がついたのだ。(番組制作者は事前に予測を立てるのがプロ)
高峰が31歳のときに書いたエッセー『まいまいつぶろ』が、11月25日に復刻されて出た。ほやほやの本だ。のちに名エッセイストとして名高い高峰だが、若書きのこの文集はものの考え方、表現が幼い。意地悪くいえば、スタアとしての気取りがあって、彼女の俗物性が正直に反映されているから面白い。51歳のときに記した『わたしの渡世日記』ぐらいになると、古だぬきになった大女優の開き直った感懐がどかんとあるので圧倒されてしまうが、この『まいまいつぶろ』はちょっとセンチで自意識過剰な人気者がきどって語っているので、読者のほうはとっつきやすい。
『まいまいつぶろ』は高峰本のなかではやや評価は低いと見るが、なかで黒澤明との恋を告白した部分は見逃せない。
昭和16年というから太平洋戦争が勃発した年にクランクインした映画「馬」の撮影のなかで恋心は育まれた。東北の農村を舞台にした馬と少女の物語。3年かけて馬と少女の変化もとりこんだ劇映画が作られた。監督は山本嘉次郎。助監督に黒澤明がついた。実際の東北ロケにはほとんど黒澤が随行した。17歳の高峰は異性として初めて惚れた。
≪わたしはまだ少女だったけれど、黒澤さんにお嫁さんにもらってほしいとその時思っていた≫と、高峰は書いている。5歳のときから子役として大人にまじって働いてきたこまっちゃくれた少女が、はじめて胸に灯をともす出来事だった。彼女はホントノコトと記している。だが、この恋は破れる。
≪いろいろの理由で、結婚はだめになってしまったが、あの時ほど私の気持ちが若く純粋だった事はない。≫こんなに率直に書く高峰秀子がいたのだ。
この本の気にいらないのは、復刻編集をしたのが養女と称する女性編集者がちょろちょろ顔を出すことだ。あれほど禁欲的かつ自省的にディーセントに生きた高峰が、なぜこういう女性を晩年に養女として認めたのだろう。詳細は分からないが、関係性のなかで一点どうしても許せないのが、高峰のことを「かあちゃん」と呼ぶことだ。はたして、この甘ったれた表現を書物などで公開されるようなことを、高峰は望んだのだろうか。よしんば高峰が認めたとしても、個人レベルでのことであって、彼女の公の顔を示す著作に用いるものでないと、思う。
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