ゆずの季節
ダイニングテーブルにゆずが2個ころがっていた。実家の裏庭を思い出した。立派なゆずの木があって、この季節になると枝もたわわに成ったものだ。父がなくなって、母だけでは処理しきれず、木になったまま木枯らしを受けている風景が2000年の頃から続いた。
たまに帰省すると、風呂はゆず湯だった。20個ほど湯に浮かぶ贅沢な湯だった。しわしわになったゆずを手にとって匂いをかぐ。こどもの頃を思い出したものだ。風呂からあがると、夕食は鍋。薬味にふんだんにゆずが使ってあった。
明け方に母の夢を見た。顔も姿も見えないのだが、母がせっせと働いている気分だけがあった。
17年前に死んだ父は遠い存在になったが、2年前の母はまだ生きている気がする。田舎に帰れば、「おかえり」といって家の奥から迎えに出てきそうな気がする。
父を失ってからの17年、母はどんな想いで暮らしていたのかと、最近詮索するようになった。生まれた近江の大津に帰りたかったのではないか。雪とみぞればかりの北陸の冬から離れたかったのではないか。幼なじみが待っている上平蔵町のあの路地に戻りたかったのではないか。
久しぶりに母の歌集を読む。
友と別れ暮れゆく比良の山脈を眺めつつ思ふ過ぎし五十年
湖西線で京都から敦賀に向かう時、比良山系が連なる堅田あたりで、初雪で冠雪した峰をながめることがある。峰のどこかに在る母の気配。
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