先生の思い出
少し冷え込んだのか、大磯の家が寒いのか。
静かな朝に心が鎮もる。
枕元にあった句集「白薔薇」を手にした。長崎時代に師事した中西啓先生の追善句集だ。先生は医学史の大家で、岩波新書「長崎のオランダ医」を著している。大正14年生まれだから、母より1年上であったことになる。本職は内科医であった。
国立療養所に勤務していたが、長崎の歴史研究の第一人者であった。特に、長崎が生んだ俳諧の巨匠、向井去来研究では大きな仕事をしておられた。
膨大な書を所有していたが、すべて57年に発生した長崎大水害で流され水に浸かった。その落胆の時代に、私は先生と会った。
先生は私をよく可愛がってくださった。古文書を読んでいて、面白い史実に出会うと、番組のネタにふさわしいかもしれないと思って、深夜でもかまわず呼び出しの電話をかけてきた。夜中にタクシーを飛ばして御宅に向かったことは一再ではない。
先生のお宅は長崎の中心部、中島川のほとり古川町にあった。戦前からの古い屋敷にはいつも深夜遅くまで明かりがともっていた。あの木戸を開けて玄関までの小道が懐かしい。
その先生は自分でも俳句をひねり、句誌「太白」を主宰していた。俳号は萩置である。
そこに掲載されたなかから200首選んで編まれたのが、句集「白薔薇」だった。
白薔薇娘に耶蘇教を許しけり
中西先生の代表句だと記されてある。タイトルはここから取られている。
冬の句のなかに、私の好きな句をみつけた。
小春日に誘はれし旅かさねけり
長崎の町を愛した先生はよく歩いていた。町角で出くわすこともたびたびだった。南国長崎も冬は寒い。沿道の南京はぜがすっかり葉を落とした今頃は空も灰色となった。昭和57年から61年までの4年間、私のバブルがそこにある。もう戻れない。
萩置きていっさいの過去捨てにけり
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