埋蔵放射線
世田谷の放射線騒動はいろいろなことを考えさせる。人工放射線の存在は戦後60余年存在したにもかかわらず不可視になっていたということだ。キュリー夫人が青い光のラジウムを発見したのが明治時代末の頃だったのだから、日本でも戦前にはあったはず。当初、その人体への影響が把握しえてないから今から見ればかなり杜撰な扱いがあったと思われる。夜光塗料として用いられたときは時計の文字盤が商品だった。それを筆で描いたのだが、職人は筆を舐め舐め描いたといわれている。体内にとりこまれて内部被爆となったと思われるが、そういう事実も噂しか残っていない。
X線を取り扱うレントゲン技師とてかなり乱暴な現場にあったと思われる。放射線科の医者にしてもそうだ。有名な永井隆も長崎大学医学部の医者として医療用放射線で被爆しての戦後の闘病だった。
フクシマの出来事で大量の線量計が民間に出回って、思わぬところに放射線が存在することが判明したのだろう。世田谷は40年前は東京の郊外で、軍事用の得体のしれない研究所がいくつもあったと聞く。登戸には陸軍研究所があったし、目黒川のほとりには海軍研究所があった。その周辺には看板を挙げないが密かに分室のような民家もあったのではないか。ここで何が行われていたかは未だに分からない部分がある。怪人20面相の世界だ。
さらに高度成長のときに東京の風景はがらりと変わる。土地の区画整理、道路拡張などで至る所で掘り起しが行われ、そのときに都合の悪いものは不法投棄された可能性は高い。環状7号線や8号線の地下には何が埋まっているのか分かったものじゃない。その戦前の亡霊のようなものが浮かび上がって今来ているのではないだろうか。
インドのケララ州という場所は自然放射線が異常に高いと聞く。だからそこに代々住んでいる住民は放射線に強い人体に進化していったという話を長崎で原爆の取材をしているときに聞いたことを思い出した。
日本人の、東京の、ある地域に住む人たちも戦後長い間埋蔵された放射線によって、免疫が高くなったということはないのかしらむ。まるで「ウルトラQ」のSFの世界だ。
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