キトラ古墳の発見
1998年、3月4日に奈良県明日香村の現地に入ったとき、これほど劇的な発見につながる
とは思わなかった。
キトラ古墳・・・7世紀末から8世紀初めに作られている。この古墳の調査団に、技術協力する形で私たちは参加した。超小型カメラの点検を終えて、翌日に備えた。
3月5日くもり、寒さは厳しくない。他の報道陣も現地におおぜい詰め掛けている。
探査用カメラを組み立て、8時過ぎ古墳に穴をあける。
この時から遡ること14年前、同様にファイバーカメラを入れたことがある。そのときの技師金井が今回も参加していた。その時は「玄武」を見つけたが、すぐカメラが故障し調査は中断した。
前回開けた穴を探して、ドリルをあてる。内部が固い版築に覆われているため穴をあけるのに2時間かかる。
11時過ぎ、いよいよ探査孔にカメラを通す。総勢5名が慎重に操作する。金井の目が厳しい。前回は金井は43歳だった。撮影不能になる直前に金井は古墳の天井に画がチラッと見えたと述懐する。それ以来、再挑戦に金井は執念を燃やした。カメラの改良、古墳の構造などを研究してきた。
超小型カメラは2メートル伸びて、石室内に入った。床が写り、正面の壁に向かう。そこには亀つまり「玄武」がいた。ここでカメラは断線し、調査はストップした。
その夜、スタッフは必死で配線を修理した。外は激しい風雨になっていた。
6日朝、雨はあがった。10時作業を開始。すぐ玄武にたどりつく。そこから左右へカメラを振ると、白い虎と青い龍をとらえた。新発見だ。思わず手に力が入る。でも、これは
序の口だった。
天井にカメラが向けられると、そこには華麗な星座が広がった。「星宿」である。中国にもない、世界最古の天文図が現われたのだ。この星座は後の調査によると、大変な情報を記録していることになる。その時点ではまだ私たちは知らないが、新しい像を捕まえたことに興奮していた。
技師の金井は3ヵ月後定年となる。今年私が定年を迎えたとき、彼から祝いの電話をもらった。先年、病で倒れた金井は不自由な口で、「よかったね」と言ってくれた。
今度、彼が病を養う高崎へ、見舞いに行こうと思っている。
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