何が始まるか
いくつかの企画の種を捕まえているが、なかなかカタチになっていかない。もっとも関心のある原発の「ネタ」にしても、詳細なデータを掴みえてないので最終的な企画書にまで昇華しない。レギュラーの美術企画にしても画家の人生をしっかり把握できていないからついリサーチ待ちという状態に陥っている。
いつも大きな番組を終了して、次へ移行するときに出てくるぽかんぼんやり状態である。ここを越えて実際の企画とし昨日は宮本二天のことで思わぬ情報を拾って前リサーチ、取材、撮影まで行くのにそれなりの時間がかかる。宙吊りになった意識は居心地が悪い。そこでジタバタして焦るのだ。これを40年近く繰り返してきた。もうそろそろこんな生き方を変えないと、リタイヤしたあと辛いぞと自分に言い聞かせるのだが、習い性はそう簡単に変わらない。
たが、最後の詰めでうまくパズルが嵌まらない。今一つウラをとらなくては危ない。そのウラとりをどうするか、今朝もずっと考えている。
昨日あたりから北風が吹いて寒さが近づいてきた。ヒートテックのズボン下やシャツを着けるようになった。靴下もチビでなく長いものを穿くことにしよう。本日は健康診断が2時から入っている。
コメントをいただいた。小生にヴィスコンティを期待されるとか。光栄だ。実は、ヴィスコンティは20年前に夢中になった。「家族の肖像」を見たときだ。あの重厚な”本物”の画面を見たときから、心を奪われた。赤い公爵という異名をとる貴族の社会主義者。私の好きなタイプだ。
先年、ミラノへ行ったとき、郊外でヴィスコンティの領地という農場を見物したことがあった。単なるファンでしかなかった。そこから脱して、あの美意識に挑戦できないか。大きな課題をあえて目の前に置いてみよう。
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