窓打つ嵐に夢も破れ
午前3時。風の音に目が覚めた。
窓を開けると、風が轟々と鳴っていた。前の立木もひどく揺れている。ときおり、木がきしむ。風の又三郎を思い出す。
「すっぱいリンゴも吹き飛ばせ、あまい花梨も吹っ飛ばせ」という囃し言葉だったと思うが、大映映画で見た光景がこの文句とともに「再現」されてくる。
嵐にもかかわらず、何か落ち着いた気分がある。幼い頃の秋の深まりを感じ取った日々と似ていたからだ。
井伏鱒二と開高健の対話を思った。トミさんが作った名作ドキュメンタリー「荻窪風土記」の1場面だ。荻窪の井伏の馴染みの割烹で、井伏と開高が酒を酌み交わしている。開高が井伏に唐突に質問する。「小説が書けなくなったらどうするのですか」井伏は黙って聞いている。「最近、書こうと思っても書けないのですよ」開高は胸の苦しみを、カメラの前にもかかわらず訴える。
井伏がぼそっと呟く「何でもいいから書くのだよ」
「イロハニホヘト、でもですか」と問う開高。
「そうだよ。いろはにほへとでも」
忘れられないシーンだ。この番組を見たとき30代だった。まだ、この対話の深さを理解しているとはいえない。開高健が、作家としての矜持をかなぐり捨ててよくカメラ前で真情を吐露したものだと感心するぐらいであった。
最近、書けない開高の思いに思いを致す。書きたくとも書けない。書くという行為がどれほど野蛮なものかと思うと筆が進まない。この開高の苦悩とともに、井伏の答えにも胸がつかれる。いろはにほへとでもいいから書くのだよという助言。
風の音を聞きながら、なぜこんなことを思っているのだろう。もっと他に考えなくてはならないものがもっとあるだろうに。来年度の企画とか科研の論文とか。
なのに、ある番組の1場面を思い起こす。そのまま眠れずに瞼を閉じて、ベッドに横たわっている。
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