どうも幸せな人生だったらしい
同じ北陸の出身で同期の鉄山氏が、放送直前で大童(おおわらわ)の私のところへやって来て茶化そうとする。1ヶ月かけて作り上げたデジタルテープに最終の情報を書き込むという画龍点睛の大事な場面。そこへノーテンキな顔つきで、ドラゴンズの追い込みはたいしたものだとはしゃぐのだ。最初の赴任地が名古屋だったから、中日びいきの鉄山氏。出来ればヤクルトに優勝させたいと思う私には面白くない。思わず「うるさい!」。と一喝してもまったく意に介さない。ぼやきが馬の小便(だらだら続き垂れ流し)。面白いのでつい聞き耳を立ててしまう。
福井の実家に老いた父と母を置いたままにしているが、もうすぐ雪の季節がやって来ると思うと鉄山氏は憂鬱になる。なにせ、94歳の父は未だに車を運転しているから、夜間に電話が鳴ったりするとギクッとするよと、さも怖そうに語る。雪道は若い者でもスリップする。ましてや年をとっていれば、スリップに加えて誤運転も起こりうる。
94歳でまだ免許を更新するという御老父の心意気は尊敬に値するものの、はた迷惑な御仁だなと、つい私も同情する。鉄山氏は藤島高校出身、一浪して慶応。そして、私と同じ昭和45年春に放送局に入社した。団塊の真ん中生まれ。ずっと自然番組を撮ってきた。趣味は美術で、絵はめっぽう強い。専門の自然番組以外なら、朝鮮白磁をやってみたいと殊勝なことを言う。現在、糖尿病予備軍。入社した頃に比べると太って3倍になった。節酒に努め、食事も減らしているという。が、宵っ張りで明け方まで起きているから、3時ごろにラーメンを食する習慣があるというではないか。
バカじゃないの。夜更けのラーメンこそ、糖尿への一直線じゃない。おまけにタバコもまだすっている。かつては、近藤正臣のような美青年も今では太鼓腹で、血糖値を気にするオヤジに成り果てている。
大阪万博の年に入社して半年間、会社の研修施設に合宿した時のことだ。その頃鉄山氏は燃えるような恋をしていた。駆け落ちなんて言葉を口にもした。同期はみな心配もした。その恋をみなで後押しした。口角泡を飛ばして恋愛論を語り合った。それから幾春秋。
死ぬの生きるのといって一緒になったヒトも、今では孫の世話に明け暮れて、体のあちこちに痛みを感じる老女になった。と言って嘆いてみせる鉄山だって、オヤジギャグを撒き散らす職場のコークス(燃えカス)だ。その列に並んでいるから筆者も大きな口はたたけない。
その鉄山氏が一瞬真顔になって、私の顔をのぞきこんで言った。
「ひょっとしたら、俺たちって恵まれていたみたいだぞ。どうやら史上稀な幸せな人生だったようだ。俺たちが生まれる前に戦争は終わっていた。人生の始まりの頃は貧しかったが活力はあった。坂の上には雲があった。高度成長という大波があった。・・・なんだかんだと言って定年まで働いた・・・」
何を思ってこんなことを言い出したのか、鉄山氏の真意も分からないまま、来し方を振り返ってもみる。湧き上がるものは苦いものもあるが、総じてポジティブなものだということは認めざるをえない。
『思想地図』とは、若者の教祖、東浩紀が編集長をつとめるオピニオン誌。そこで、戦後60年の戦後社会というのはすぐれた社会であったと語っている。まさに団塊世代が生きてきた60年のことだ。ただし。
ただし、その戦後社会は壊れていて、さらに大震災が決定的な一撃を加えたと東は見ていた。この若い論客の言い分に耳を貸すことはやぶさかでないが、今のところ、すぐれた戦後社会というボキャブラリーに心を奪われる。
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