千代女の逸話
今朝は秋というより冬を感じさせる寒さであった。明け方の厠行きではぶるっと身内が震えるものであった。
朝食で鰊なすびを腹いっぱい食べたこともあって、久しぶりに北陸の秋を思い起こした。10月に入ると、小学校の校庭は冷えて、朝の休み時間の鬼ごっこも足裏に冷気が沁みたものだ。昭和30年代は、上履きなどなく裸足で飛び回っていた。だがその冷たさは嫌ではなかった。鬼に追いかけられて校庭の端のポプラの木まで駆け抜けると、肺深くまで沁みこむ冷気が心地よかった。
偉人伝を詠むのが好きだった。
松任名物あんころ餅は甘くて美味しい。大好物だった。加賀の千代女は松任の在と紹介があったので、親近を覚えて伝記を読んだ。
ところが、そこの記された千代女のエピソードは、読んでも理解できなかった。作者は何を言おうとしているかさっぱり分からなかった。
中央の俳人各務支考が松任にやって来たときのことだ。俳句についての教えを請いたいと千代女は支考の逗留する宿を訪ねた。
宵の口だったから、支考はホトトギスという題を与えて千代女に何かひとつ作ってごらんと句作を命じた。しばらく考えて千代女はさらさらと短冊に記して支考に見せた。それを読んだ支考は面白くなさそうな顔をして、もっと他にと促した。千代女は内心かっとなった。これでは自分の句を否定されたのも同然。なんとか支考のハナをあかしたいと、意地になって矢継ぎ早に作った。
いっこうに支考は色よい答えをくれない。夜は更けていった。短冊の山が出来た。
やがて夜は明けた。光が部屋に差し込んできた。
疲れきった千代女は、万策尽きた思いでのろのろと筆を滑らした。そして短冊を見せた。
ホトトギスホトトギスとて明けにけり
それを読んだ支考が莞爾として笑って、「それでいいのだよ」と語った。
この逸話の何が面白いのかいっこうに分からなかった。第一、褒めたというホトトギスの句の良さが理解できなかった。
今朝、新刊の新潮選書『子規は何を葬ったのか』を読んでいて、ハタと思い当たった。
近代俳句は正岡子規によって確立されたといわれる。小林一茶以降子規の時代まで、俳句は月並み調に流れて駄目になった。駄洒落、教訓、嫌味、小利口ぶるなど俗受けするような句が主流になって、芭蕉の唱えた風雅の道から離れたというのだ。それを正したのが、明治期に登場した正岡子規というのが俳句史における定説である。
その堕落したといわれ長く無視されてきた月並み俳句を再評価しようというのが、今朝読んだ『子規は何を葬ったのか』。そこで取り上げられていた句が、私の胸にビビンと響いた。
朝顔に釣瓶とられてもらい水 千代女
井戸端で、釣瓶に朝顔が巻きついていた情景の句だ。そこで停めればいいものを、もらい水という理屈を千代女はつけた。それが句として堕落した月並み調になったのだというのが、子規の批判である。つまり、千代女は月並みの句を詠む代表選手として考えられていた。その彼女が、一晩寝ないで悩んだ末に作り上げた句は作為のない素直な句だった。つまり悪しき月並み調を脱したということに、あの伝記の作者は意味を見出していたのだ。
ホトトギスの兼題で俗受けするような句を作り続けた末に、窮余の一策、破れかぶれで現在の境遇(シチュエーション)を、千代女は詠んだ。
ホトトギスホトトギスとて明けにけり
ホトトギスホトトギスといって句を詠みつづけて、夜が明けてしまった。とまったく作為のない句に到達した。そのことが素晴らしいと、この評伝の作者は言いたかったのだ。ということに、今朝私は気づいた。
伝記を読んだのが12歳の頃だったから、50年、半世紀を経てやっと理解できたのだ。
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