自然の鉄則
本日は2011年9月11日。あの2001年のNYの惨事から10年。春3月に起きた東日本大震災から半年という節目の日。両者の符合に何か意味があるのかという特集がTBSで組まれていて見た。
寺島実郎や中村桂子ら論客のスタジオでの発言はともかく、VTR出演したペシャワール会の中村哲医師の言葉が心に残った。どれほど人間が進化して精進しようとも、自然の鉄則はそれとは関係なくあるという事実を今こそ噛みしめるべきだという意見だ。言い換えると無常という言葉になるのだろう。
鴨長明以来、日本人のなかにあった「無常」ということが、戦後60年繁栄を追い求めるなかで長く閑却されていた。日本人は便利さを追い求めるあまり「美」を失ってきたと、同じ番組のなかでドナルド・キーンが語っている。
偏西風の蛇行の異常が、先般の台風12号による紀伊半島襲撃をもたらした。昨年の夏は新潟県への集中豪雨があった。一定期間に同一場所に災害が繰り返し起きるとき、何か意志が働いているのかと勘繰りたくなる。自然の鉄則の裏側に潜むものとして・・・。
「曽根崎心中」のドキュメントを作成しているなかで、現代美術家杉本博司の言葉が気になった。彼は20代からアメリカに住んで活動を続けてきたから、日本文化というものを一際意識してきた。そのなかで感じたのは、日本語は欧米言語に比べて自然を表す語彙が豊富で50倍はあるだろうということ。それほど日本人というのは自然を意識し畏敬してきたのだという。そうやって自然と折りあって生きてきた日本の文化というものは、文明が大きく転換しようとする現代だからこそ世界から注目されていると、杉本は語る。
こうして力説される日本文化は過去にはたしかにあった。キーンが指摘するようにそれは「美」として蓄えられ、後世に伝えられてきた。だが、それらは経済至上主義のなかで雲散霧消した。便利さのなかで駆逐されていった。
便利な―コンビニエント。
村に町にコンビニ(便利屋)がやって来ると、モノは出回りヒトは出て行った。車利用を促進するために道路が整備された。たしかに便利になり公共輸送(鉄道やバス)は無用になりさがった。だが深層では違っていた。老人は運転できないから孤立化した。若者は便利な車を使って村から出て行き、便利な都会に住むようになった。
詩人の大岡信の嘆きを思い出す。沼津出身の彼は海辺の松原を長い間自慢にしていた。高度成長の頃、その松原を整理して大きな橋が海辺に築かれた。たしかにたくさんの車が運行して物流が推進し便利になったかもしれない。が、あの白砂青松の松原は消え、味気ない海だけが取り残された。
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