気比さん祭り
子供の頃、二百十日の頃になると台風が来たものだ。ちょうど気比さん祭りの時期で、店頭に並ぶ梨が大風に吹かれて路上にごろごろ転がった。秋祭りは十日以上続く長いもので、近在から人も集まってにぎやかなものだった。宵宮などは、町全体がウキウキしていた。昭和三十年代の敦賀にはまだ原発立地の話もなく、北陸の玄関口として、交通の要衝として賑わっていた。
今では、町は死んでいると書かれるようになった。馳星周の『光あれ』という小説は、原発で死んでいく敦賀の町を舞台にしている。この小説のキャッチコピー、「おれたち、なんでこんな眠たい田舎町に生まれたんやろうな」。こんな町に生まれたことを後悔している。
主人公徹は原発の下請けのガードマン。他に産業がない町では原発とつながってしか生きていけないとある。出身は敦賀半島突端の立石。まさに原発が立地する区域だ。地元の信用組合に勤める真理と結婚したがうまくいっておらず、水商売の年上女や友人の妻とごちゃごちゃしながら生きている。三十代の主人公は私などから親子ほど年令が離れている。
たしかに三十年違えば、敦賀体験も違うだろう。この小説に書かれてある出来事も町の風景もいっこうに私の知るところではない。ウラブレテ、退廃した、何の希望もない町になりさがっている。
作者の弁。「原発の周辺で暮らす人々も、漠然とした不安をそのうちに抱えながら、しかしその不安に気付かないふりをして生きてきた。いや、そうやって生きるしかなかったのだ」
フクシマで起こっている原型がここにあるといわんばかりの作者の弁だ。
一読して、これは私の町のことではないと思った。少なくとも、私が知っている町ではない。そう否定をしておきながら、だがこの町に三十年間に起きたことをおまえは知っているかと聞かれると、自信がない。
だが、私の知っている敦賀の町には、「花換えまつり」などというのは年中行事になかった。美浜も水晶浜も立石も域内ではなく、遠い異郷だとしか感じていなかった。車を駆って走らせる高速道路もなかった。
主人公が最後に発する言葉に反発を感じてしまう。≪おれが社会に出たころから、敦賀はゆっくり死にはじめた≫
この小説は、今年の三月の「事故」をきっかけに書かれたものではないらしい。初出は二〇〇九年八月号の「オール読物」とある。それが単行本として出たというのは、やはり時宜を得たということなのか。
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