ローソクの話
柳田邦男の最新作『僕は9歳のときから死とむきあってきた』を読んだ。
なかに、死後生についての興味深いエピソードが出てくる。死後生とは死んだあとの世界のことである。
ある肺がん末期の患者がもらした言葉を紹介している。
その患者はあるとき主治医に宣言する。「あの世があると思うのです。あの世に行ったら先生にメッセージを送ります」。どんなメッセージかと聞くと、ローソクの炎に変化を与えてその兆候を知らせるという。風がないのにローソクの炎が揺れたら、自分からのメッセージだと思ってくれと遺言したのだ。3日後、彼は死んだ。その後、どうなったかと主治医は聞かれて、困った顔をして答える。「ちっとも揺れないのですよ」。まあ、そんなものだろうと思うが、話はここで終わらない。続けてその主治医が語った言葉が素晴らしいと柳田は書いている。
主治医はローソクの炎がいつ揺れるかとそのことばかり気にしていた。だが炎は少しも揺れない。そのうちに、そういうことを気にしている自分のなかにその患者さんは生きているのだと主治医は気付いた・・・。柳田はこのエピソードを聞いて、「ああ、そうだ。こういう形で旅立った人が生きるんだ」と合点する。
映画「ゴースト」で、死んだ主人公が現世の恋人にメッセージを送るシーンがある。落ちていた1セント硬貨を摘み上げて持ち上げてみせるのだ。最初はうまくいかないが、やがてコツを掴んだゴースト(幽霊)は恋人の前で実行する場面。見えないゴーストが硬貨を持ち上げている光景は奇天烈だ。まさに、あの世からこの世へメッセージが送り込まれたということを映像化している。この「寓話」のような出来事を、柳田の話のなかで当初私は期待したが、そういうことではなかったのだ。そういう奇跡は起らない。代わって、別の真理が浮かび上がってくるのだ。死者の存在が焦点化することでなく、その死者を想起すること。
柳田は90年代後半から、死後生という科学的思考ではとらまえにくい出来事を語るようになってきた。キューブラー・ロスとかユングの言葉をよく引用していた。河合隼雄さんの著作からの引用もあった。そういう柳田の文言にヒントを得て、私らは河合先生のナバホの旅を企画したことがある。アメリカ先住民のナバホの村を、河合さんが旅をして、「魂」のことについて思索を深めるというドキュメントだった。まだ、文化庁長官の職にもつかず、先生は悠々と研究を重ねている時期だった。あのまま、先生が研究を続けていれば、われわれの死に対する文化ももっと深まったにちがいない。
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