目にはさやかに見えねども
今朝の雲は秋だった。
瞑想を終えて、窓の外を見たら透き通るような風が流れていた。太平洋上、はるか父島あたりに台風が居座っているそうだが、今日の関東地方はすっかり秋となった。
向田邦子原案のドラマ「胡桃の部屋」が話題になっている。民放の今風のドラマがうまくいかないなか、このドラマは平均10パーセントの視聴率を得ているそうだ。この作品はもともと向田のエッセーでしかなかったのだが、シナリオ化してドラマにした作品だ。昔、朗読劇として放送されたような記憶があるがさだかではない。向田脚本のドラマというわけではないが、それでも彼女独特の香りがすると評判をとっている。ここに来て、向田伝説が再び取沙汰されている。先日読了した鴨下信一の向田論はめっぽう面白かったので、最新の太田光の『向田邦子の陽射し』も読むことにした。
4,5年ほど前になるだろうか、私が作った「向田邦子が秘めたもの」という番組の一部を太田光が使いたいという話があった。どうやら、向田の若き日の恋人のことに太田が言及したいので、その材料として、拙の番組を所望したらしい。そのときから、太田光が向田文学に執心していることを知ってはいた。が、彼の向田論を実際に読んでみたいという気は起らなかった。その意味で、『陽射し』ははじめての書となる。
冒頭の「思い出トランプ」に関するエセーはまあ面白かったが、「あ・うん」の幸福論はつまらなかった。太田の文章に湿り気も味もなかった。洞察も鴨下のような意地の悪い目が光ってはいなかった。読む意欲が失せた。ぱらぱらとページを繰った。
向田の父のことを言及している箇所で、ふと手が止まった。「父の詫び状」のモデルであり、いつもガミガミ怒鳴り散らしていたというあの伝説の家父長だ。向田の父というのは、晩年に至ってそれまでの横暴さの角がやや丸くなって、老人の風貌を見せ始めたという印象がある。むろん、向田のエッセーからの推定だが。私のなかでは、70代半ばの老人をイメージしていた。
「父」の亡くなったときのことを向田は記している。その件は以前たしかに私も読んでいた。「父」は好きなプロレスを見て、酒を飲んで寝たら、翌朝には昇天していたと向田は記していた。そこまでは、以前読んだ記憶どおりだった。だが、寿命をあらためて読んでたまげた。64歳とある。
ナニイ、64。今の私と1つしか違わないじゃないか。
頑固で卑屈で権柄づくの父。傷心の向田を慮って、実家から追い出した父。酸いも甘いも知り尽くした父。それが、64歳だったとは。もう、あと1年しか私にはない
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