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いちばん

いちばん

 広島原爆のことを調べている。特に、落ちた後の出来事に注目している。占領軍は、この「戦術」に対して日本人の批判を封じた。
新聞のプレスコード、放送のラジオコードを布告して、投下したアメリカの責任を問うような発言を一切封じたのだ。今では信じられないが、広島、長崎で其の年の終わりまでに30万近い人が犠牲になったのだが、それは風評でしか伝わらない。現地で何が起きて、何が進行しているか、他の地域ではまったく知る術もなかった。

『アサヒグラフ』1952年8月6日号が出て、日本人は初めて原子爆弾の非人道性を知った。これが初めて原爆被害を伝えた雑誌だ。サンフランシスコ講和条約が1952年4月28日に発効し、日本が独立して、初めてこの事実が世に出たのだ。先日のNスペで、長崎に進駐した米軍の将官が、原爆の惨さに怒りを表したというエピソードを伝えていたが、そんなヤワな話ではないのではないか。人体実験としての広島、長崎をアメリカは戦後もずっと調査の対象にしていたのだ。比治山のABCCは被爆者の健康状態と被爆状況の相関を追跡していた。

 何の為に、追跡調査をしていたか。それは、その頃から始まっていた原子力産業の安全規準を確立するためだったのだ。つまり、被爆した線量と「原爆症」との関係を数値化していたのだ。
 被爆者は、どの地点でどういう状況で(屋外か屋内か)被爆したかを調べる。一方で、その地点での放射線量をあてはめると、障害が発症するリスクが浮き彫りになるのだ。この図式を裏付けるために、実はアメリカは広島と同じ状況を作って実験していたのだ。ネバダの砂漠に、広島原爆が炸裂した500メートルの高さに、原爆と同じ出力をもった原子炉をぶら下げて、そこから放射線を発生させて、拡散の状況を試していたのだ。この作戦をアメリカは「ICHIBAN」と呼んでいた。この頃から原子力産業が動き出している。

今まで、原爆の悲劇しか語られなかった。今年の夏は、原子力産業との連関が注目されている。

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by yamato-y | 2011-08-17 21:24 | Comments(1)
Commented by まろ at 2011-08-19 03:42 x
向田邦子さんのことを調べていて偶然、このブログにお邪魔しました。どの記事も不思議に波長が合うような感覚があって、どうやら年代も近そう(笑)なので親しみを覚えた次第です。迷惑でなかったらちょくちょく訪問したいなと思いました。
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