朝の電車に乗り込んで
ツヴァイクの道を降りしなに、鶯の声を聞いた。ゆったりとした鳴き声は蝉しぐれのなかにあってよく響いた。春先の鶯は臆病で人の気配がするとすぐ鳴きやむのだが、真夏ともなると図太い。足音を立てても鳴くことをやめない。山道を下りながら、背に鶯を聞きながら、気持ちよく森を歩いた。真夏の強い光が草むらに落ちて濃い影を作り出している。遠く相模湾は白くかすみ、今朝は江の島が見えない。
昨日は夕方から海水浴に出かけた。日がかげった4時過ぎ、海水パンツのままで家を出た。大磯海水浴場の入り口で異変に気がついた。浜茶屋の賑わいがない。去年の夏に比べて人の出が少ない。がらんとした浜辺にFM横浜のDJの声が空しく響く。いつもでない大磯の夏。やはりフクシマの変が太平洋側の浜辺に影響を与えている。
夕方の波は大きい。5、6秒ごとに立ち上がって来る波は2メートル以上ある。押し寄せる波より引く波のほうが力強い。汀に立つ足を引っ張りこむ。水際で幼児がばちゃばちゃ水遊びぐらいでしっかり泳ぐ人はほとんどいない。レスキュー部隊も手持無沙汰だ。
大波を2つほどやり過ごしてから体を水に預けた。平泳ぎで沖に向かう。たちまち海水を飲んでむせ返る。むせると焦って手足がばたばたになる。なればなるほど失速する。水を掻く手が重い。体が沈んでいく。ダメだ。慌てて岸に引き返す。砕けた大波に乗って浜にもどった。
何てこった。わずか7,8メートルしか泳いでいないじゃないか。遠泳に挑んだ少年の日はどこへ行った。
小林勇は毎年鎌倉の海を泳いで65をむかえたと書いていた。そこまでにあと2年を残す私が、8メートルしか泳げないとは。情けないやら口惜しいやら。
砂浜に腰を下ろして、波に乗るサーファーたちを見た。はつらつと飛び回る姿は美しい。若さの濫費。只中に在るときはその無駄こそ腹立たしいのだが、今となってみればその苛立ちが懐かしい。
砂をつかんでいた手にガサリと触れたものがある。見ると千円札が2枚。どうやら落し物らしい。砂のなかに埋まっていたのが浮かびあがったようだ。宝探しの「景品」だったのだろうか。2枚のお札がきちんと並んでいた。
風が出てきた。もう一度、波に挑んだ。浜に直角でなく斜めに角度をつけて沖を目指す。20メートルほど沖に浅瀬がありそこまでたどり着く。ぜいぜい肩で息をしながら岩場の岩に手をかけた。重いからだを起こして岩に腰を下ろす。そこから見た沖は不気味に白く光っていた。63歳の夏も泳ぐことができた。
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