66年目の広島の日
6時前から瞑想を始め、6時15分過ぎに終了。相変わらず雑念が多い。目を閉じて数分で鬢のあたりに汗を感じて、気持ちがなかなか集中しない。
実施率が50パーセントしかないから未熟なのだ。どうしたら夕方の瞑想が可能となるかまだ方策が見当たらない。そのうち改善するだろう。
目を開けると空はうすぐもっている。風もない。静かな朝だ。
8月6日は忘れてはならない日だ。人類にとって最初の核攻撃を受けた日であった。瞬間的な爆風、熱線の破壊もすさまじかったのだが、その後緩慢に襲ってきた放射能の威力は人類が初めて体験するものであった。それから66年の間に、日本人は長崎、ビキニ、フクシマを体験する。兵器としての核ばかりかエネルギーの核をも日本は被害として受け止めることになる。こんなことがあるだろうか。
あまりに苛烈な運命に襲われると、かえって自分たちは特別だと思いたがるユダヤの選民思想を同意したくなる。ここまで核の脅威にさらされる日本人というのは、何か特別な使命を与えられているのかと勘繰りたくなる。(そんなわけない)
今朝は8時半までに出社しなくてはならない。9時から「極上美の饗宴」の作品の手直しがあるのだ。明日の再放送に備えての措置だ。そのため、8時15分の黙祷はおそらく渋谷の街を歩いている時刻になるはずだ。
昨夜、日本テレビで戦争関連ドラマ「この世界の片隅に」が放送された。2時間の長いドラマで、戦時下の呉、8月6日のきのこ雲遠望、廃墟の広島などずいぶん金のかかったドラマだということは分かった。こうの史代の原作に比較的忠実に描いたドラマだということも分かったが、どこか乗れないものがあった。何でだろうと考えたのだが、おそらく漫画表現の特性を見定めてのテレビドラマ化ではなかったからではないか。こうのさんの漫画はリアルなものだけで構成されていない。独特のファンタジーもある。それを真っ当に「絵」にしたところに違和感が残ったのではあるまいか。
キャスティングでは、主人公のすずを演じた北川景子は悪くはないが、ややたくまし過ぎる。綾瀬はるかぐらいがいいのだが。でも、すずはまだいい。それ以外の配役は、おひさまの配役にくらべるとまったく不十分だった。特に夫の北条周作は外れていると感じた。
観客というのはまったく勝手な王様だ。作り手の苦労など頓着せず好き勝手なことをほざくのだから。今回の「極上美の饗宴」にしても、現場でかなり苦労をして制作したにもかかわらず、客体はさらに高い要求を持ち出すものだと痛感しておきながら、この私とてこのドラマに対して、無理難題をふっかけている。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング