愛怨峡
溝口健二の映画「愛怨峡」というのがあるそうだが見たことがない。ないのだがタイトルの字面からなんとなくこういう映画だろうと推測して見た気になっている。
主演は山路ふみ子。彼女はこの映画でその名前を挙げた。今、山路ふみ子賞という映画賞があるが、その来歴のところに必ず代表作が「愛怨峡」になっている。
溝口は古い監督といわれた。東宝の藤本真澄がそう面罵したと新藤兼人が語っている。新藤は溝口のことを描いたドキュメンタリー映画「ある映画監督の生涯」を撮っている。新藤にとって溝口は師匠のような存在だった。戦時下、溝口が「元禄忠臣蔵」を撮ったとき、新藤は美術監督でそのチームに入った。あの映画の素晴らしさは美術セットもそのひとつ。江戸城のとてつもない大規模なオープンセットは新藤の功績でもあろう。といって、脚本家としての新藤を溝口はあまりかっていなかったようだ。新藤もそのあたりは分かっている。だが、個人的な親しみが二人にはあった。
溝口が田中絹代のことを思っていると新藤に告白したエピソード。あるとき、京都の宿に新藤が滞留していたときだ。散髪に行こうと四条木屋町の定宿「松華楼」を出たところで溝口と出会う。「昼飯をおごってくれないか」と新藤は声をかけられる。とって返して松華楼ですき焼きを注文して酒を1本飲みながら話をする。そのなかで、溝口は語る。「僕は田中絹代に惚れているのだが、どうにかなりませんかね」
なんだか、いつか見たような光景だ。見た気になる。このことを想い出して語る新藤の語り口がいいのか、この逸話の設定がいいのか。こういう場面で似合うのが昼からのすき焼きと日本酒だ。京都のオバンザイのひとつで出てくるすき焼きというのは本当にうまいのだ。一度鶴澤清治さんにおごっていただいたことがある。
ところで、新藤の定宿松華楼は現在ない。私の定宿にしている秀仙閣以外に四条木屋町に宿屋は見当たらないから多分ない。ひょっとすると、秀仙閣の前身が松華楼かもと夢想もするが、そんなに都合がいいこともあるまい。
愛怨峡という映画は生涯見るまいと決めている。見ないで、いつか同名の映画を作ってみたい。
最近、文章がおかしい。一貫しない。ぽろぽろこぼれていく。あちこちに話柄が広がりとりとめもない。ひとつは関心が収斂しないのだ。もうひとつはどうしても語りたいことは書けなくて、横へ逃げようとするから文章が散漫なのだ。
新藤が生きている間に聞いておきたいことがある。「原爆の子」のこと、「第5福竜丸」のこと。だがおそらく聞く機会などないだろう。
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