17年も前のこと
昨日、版元から電話があって、以前書いた津田投手の言葉をあるアスリートが使いたいといってきているが許可できますかと聞いてきた。この本は二人で書いているから、相棒のほうから版元へ連絡がいったみたいだ。
詳しいことは聞きそびれたが、今行われている世界陸上に出場する棒高跳びの女性選手のことだったと記憶する。彼女の座右の銘が津田投手の「弱気は最大の敵」。この言葉を私たちが著した『もう一度、投げたかった』で見つけて以来、ずっとそれをモットーにして試合に臨んできたという。そのエピソードを民放のワイドショーか何かで取り上げたいので、著作権者である私たちに許可どりを願いでたということだった。むろん、どうぞお使いくださいと喜んで答えた。
今から17年も前になるか。急死した津田さんのことをうかがいたいと、九州八代まで出向いたことがある。そのころ私は広島で仕事をしていた。津田さんの実家がある山口県新南陽市を経由して、津田さんの奥さんがいる八代に向かった。
奥さんは一人息子のダイキくんと実家に身を寄せていた。そこで津田さんの闘病記を執筆していた。私とディレクターは津田さんの現役時代のエピソードをあれこれ聞いた。
津田さんの普段の性格を聞いていたときのことだ。
「ちょっと待っててください」と言って奥さんは、奥に消えた。
再び現れたとき奥さんは公式の硬球を手にしていた。「これをいつあの人は見ていました」とボールを差し出した。そのボールはずいぶん使い込んだと思われるほど手垢がついていた。同じ握り方をしていたらしく指跡がくっきり残っていた。親指と人指し指、中指をその跡にあててボールを見ると、くっきり文字が浮かび上がった。
「弱気は最大の敵」。津田さんが自分に言い聞かせるために記した言葉だった。ピンチのとき落ち込んだときに津田さんはこの言葉を自分に言い聞かせて、自分を奮い立たせていた。そう私は想像した。
この言葉を見つけたとき、津田投手という「強気一辺倒」の人と思われた人格の一端を知った気がした。炎のストッパーと呼ばれて熱い男と見られていた人の本当の姿を知った気がした。
これで、彼のドキュメンタリーが出来るだろうと実感した。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング