小松左京さんの死
今かかっている番組の最終技術試写の最中だった。スタッフがメモを渡してきた。見ると、ニュースウォッチ9の知らない人の名前で至急連絡を乞うとある。大事な試写を放り出していけるかと反発もしたが、報道からの緊急はただならぬものがあると感じて、社内電話の内線番号を回した。その人はニュースウォッチ9のデスクだった。
「小松左京さんが亡くなられました。あなたが3年前に作られた日本SF作家クラブの番組の映像を一部使用したいのですがお願いできますか」と切り出されて驚いた。80歳を超えて車椅子生活になっているが、小松さんはまだ頭脳は明晰で死ぬなんてことは先だと考えていたから不意をつかれた。どうぞ存分に使ってください、出来るだけ若い時代の小松さんをお願いしますと一言注文をつけて電話を切った。
途中になっていた技術試写にもどった。使用したビデオテープに埃がついていたようでクリーニングだけして作業を終えた。デスクにもどっても小松さんのことが気になり、石川喬司さんのところへ電話した。
石川さんはSF作家クラブ創立のときからの小松さんの盟友だから何かご存じだろう。石川さんの1声も「ぼくもさっき知った。朝日新聞からコメントを求められて驚いたよ」。
小松さんはどうやら2日前に死去したらしい。身内で葬儀を執り行ったあとに訃報が出た。ネット上でその死を悼む声が飛び交っている。その情報を掴んだ新聞社が石川さんのところへ談話をとりに来た。これが石川さんからうかがった顛末。石川さんがぽろっと漏らした。「先日届いた『小松左京マガジン第42巻』の表紙を見て胸騒ぎがしたんだ。表のイラストの小松さんの元気だった顔、めくった裏の現在の痩せた写真の顔、この対比が気になっていたのだよ」石川さんの声が沈んでいた。
『小松左京マガジン第42巻』を手にとった。発行の日付は7月28日になっていて、巻頭で小松さんは東日本大震災から4か月と語っている。どうやら小松さんの死は急だったようだ。
「賢人談話」という小松さんのインタビュー記事がある。収録は5月11日、箕面の自宅にてとある。今回の大震災について小松さんはかなり有効な意見を滔々と述べている。この体験を風化させず、日本が率先して総合防災学会を設立すべきと論陣を張っている。傾聴に値する。この意見を反映した企画を私もつくろう。
この談話のなかでの次の発言が今となっては悲しい。「この春まではな、もはや八十歳やから僕、いつ死んでもええテ思てたんやけどな。ほんまやで」「でも、これから日本がどうなるのんか、もうちょっと長生きして、見てみたいいう気にいまなっとんのや」
夜9時。ニュースウォッチ9が小松さんの死を告げていて、石川さんのコメントを紹介していた。
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