会社の縁
夏の人事異動が終わった。何人かが東京へ戻って来て、何人かが東京を去った。現役の頃に比べるとその人数はぐっと減ったものの、それでも人の満ち干きが私の周りで起こった。
数年前から目黒住まいも始めているが、その集合住宅にご同業の人がいると知ったのは近年のことだ。最初はエレベーターでいっしょになって、奇遇に驚いたのだが、このごろは目黒駅のホームで顔を合わせることもしばしばあった。
いっしょに仕事をしたわけではないが、かつて私が福祉番組に携わっていた頃、その人も大阪局で同じ番組群にいた。老人性痴呆という実態がまだよく知られていない時代に、その人はある高名な作家のその姿を捉えたヒューマンドキュメンタリーを作った。けっして作家の輝かしい経歴を傷つけるものでなく尊厳を大事にした、いい番組だった。
ときどき顔を合わせると近況を叙しながら、立ち話する程度であったが、いつか楽しい時間だと感じていた。ところが、その人は今夏の異動で名古屋へ去った。2週間ほど前に職場で見かけたときに、異動することになったと告げられた。
思いがけなかった。50歳に近づいているその人はもう定年まで東京と思っていたが、また地方勤務する。今度帰って来るのは早くて3年後、長ければ5年後ほどになるのではないか。その頃、私は会社の縁がなくなっているだろうから、その人との縁も切れているだろう。ときには命の縁も切れているかもしれない。
58歳の第1次定年をむかえた頃から人との別れがせつなくなった。学生時代の仲間や幼馴染は多少薄くなっても縁は続くが、職場というか仕事を通じた縁は、職を辞するとともに消えていくものだと知って寂しく思うようになった。仕事の間は親しく会話しても、離れれば互いに通じる話題もない。だからわざわざ出会って話をすることもなくなる。徐々に疎遠になる。
そんなふうにして遠のいた人でも、ときどきふとしたことで思い出したり、夢に出てきたりする。どうしているかなあ、どうしたかなあと消息を案じても、知る術もなくしている。もう二度と会うこともあるまいと諦める。
この寂しい思いから離れたいと思い、句会に出るようになった。ここでは主宰者を通じて縁が結ばれている。何かがあれば主宰を通じて動静は知れる。人事の異動もないから、別れることもない。あるとすればこの世とお別れするときだ。
63歳の第2次定年で、私の交友範囲はますます狭くなっている。数少ない縁がさらに消えていくのは本当に寂しい。
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