筍(たけのこ)をみつけた
5月1日、メーデー。終日、大磯もみじ山の家にいる。
厭きて、昼過ぎ散歩に出た。例のツヴァイクの道を下る。

ツヴァイクの道
途中、孟宗の竹林が美しかったので分け入ると、竹の子が生えていた。
見回すと、親竹からやや離れたところに3つ4つ頭をのぞかせている。
収穫して帰るつもりはないが、得をした気分だ。

皮の帽子を脱ぎかけた竹の子は、少年を連想させる。
好きな映画「少年時代」(篠田正浩監督)の主人公の少年のように
どこかひ弱だがまなじりを決したかのような悲壮感を竹の子は
漂わせている。
そういえば、あの作品の篠田監督はよかったなあ。どうして
監督は映画人としての晩年に「ゾルゲ」などという大愚作に手を
出したのだろうか。「梟の城」以来、CGを多用した映画作りは
無残で見ていられなかった。テレビのドラマならともかく、「本編」で
使えば、書割のような薄っぺらさが如実に出る。あの映画で描かれる帝都は
何だ。まるで観光名所の絵はがき同然ではなかったか。
それに比べて「少年時代」のメインステージである通学路の素晴らしさ。
田んぼの中を学校まで真っ直ぐ伸びた一本道。一本の電柱もなく、美しい
田園風景が広がっていた。この撮影のために、現地を工事して整備したというが
それが映画ではないか。
撮るだけ撮って、後で映像の加工処理すればよいと考えるなら、映画が
持たねばならないアウラが自ずと消失する。
--フランシス・コッポラを最近見直している。かつて「地獄の黙示録」について
嫌悪していたが、見直して驚いた。すごい作品だったのだ。かつてはイデオロギー的に
理解し反発していただけなのだ。とにかくコッポラの映画への「支配力」がすごい。
ファインダーに入るものはすべて、コッポラがガバナンス(統治)している。
これは俺の映画だ、という彼の声が聞こえてきそうだ。
昨夜、「ゴッドファーザー」のDVDを全巻ぶっ続けで見た。感動した。
コッポラを巨匠と呼んでも、リドリー・スコットをそうは呼びたくない。でも、最近の
コッポラはどうなんだろう。コッポラとして聞こえてくるのは、娘の話とワイン
ばかりだ。人生のレイトワーク(後期の仕事--サイード)というのは本当に難しいものだ。
一本の竹の子から話題はずいぶん離れた。思えば、遠くへ来たもんだ。
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