夾竹桃
線路脇の夾竹桃が花盛りとなっている。広島ではこの花は転勤花と呼ばれていた。ちょうど花が咲く頃に、人事異動が行われる。町はトウカサンで賑わい、浴衣姿が目につく季節でもあった。単身赴任の者にとっては赦免花だった。一方、瀬戸内の夕凪ともお別れかという寂しさもあって、太田川の土手を名残りをこめて歩いたものだ。土手にはたくさんの夾竹桃の木が並んでいて、8月6日の記憶を宿していた。夾竹桃の花には毒があって、口にするとおなかを壊すと教えられたことがあったが本当だったのだろうか。
美空ひばりの歌に「夾竹桃の咲く頃」というのがあった。作詞は中村メイ子だったのでその才能に感心したことがあるが、作曲は夫君の神津善行だった。去っていった男を思う歌で、洒落たバラードだったはず。
時期が来ると至るところに花をつけて見せるのだがいまひとつ存在感の薄い木だ。めったに詩心など生まれないから、この歌謡曲が気になった。
ーーこの花が咲くと、もう夏なのだと実感する。
昨夜は雨がなかったので、麓の渓流まで降りて蛍を探しに行った。一匹も見当たらなかったのは時期が過ぎたのだろう。帰り道、雲間から夏の星が光っているのを見つけて嬉しかった。気のせいかお山の家々の明かりが以前より薄暗くなったように思われる。節電のせいかもしれないが、風情があって悪くない。山が大きなシルエットになって不気味さを増していよいよ風流だ。夜はぬばたまがいい。
帰ってテレビをつけると、菅が記者会見をやっていた。空しい言葉が羅列となって彷徨う。こんな総理大臣しか持てない国を60年かけてわれわれは作ってきたのか。占領終結、オリンピック、万博、70年安保、沖縄返還、公害、バブル、阪神淡路大震災、そして「原発事故」。戦後60余年の後半は暗く惨めなことばかり続いていた。ひばりが死んだのは日本が峠の下りに入ったときだった。今考えると、52歳とは早すぎる死ではあるが、ある意味でいいときに退場できたのではないか。
山本五十六が死んだときもこんな気分ではなかったか。勝つ見込みもない戦争に突入しながら、いち早く散華した山本を羨ましく思ったのは軍人ばかりではなかったはず。小林勇の目を通して見る三木清などはそう思えてならない。
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