核をめぐる対話
先日、夢の島の第五福竜丸展示館で収録した対談が、今作品になりつつある。
7月3日(日)の放送予定のETV特集である。出演は大江健三郎と大石又七。大江さんはご存知のようにノーベル賞作家。大石さんは第五福竜丸に乗務していてビキニの水爆実験で被爆した人物である。この二人が、今起きている原発事故を念頭に、日本人と核の問題について話し合った。
大江さん78歳。大石さん79歳。二人は同世代。新制中学校の最初の入学生という戦後体験をもっている。
1954年、ビキニの海でマグロ漁を行っていた第五福竜丸(ラッキードラゴン)は、アメリカの水爆実験に遭遇し、乗員23名が被爆する。半年後、久保山愛吉さんが死去。だがアメリカ側は水爆との因果関係を否定し、あくまで輸血による肝炎と主張。大石さんたちも健康不安をかかえながら世間に押し出されていく。それからおよそ20年大石さんは沈黙する。が、やがて自分たちの体験が隠されていること自体が問題ではないかと考えるようになり、子供たちに向かって被爆体験を語るようになっていった。
ビキニ事件の1年前、ソ連が核兵器開発でアメリカを追い抜いて、水爆の開発に成功した。これによって核戦争の危機が高まる。対抗してアメリカも水爆を開発。それがビキニの実験。日本では反米意識が高まり、原水爆禁止運動が広がっていく。そのときに、日本工作をアメリカは行う。実際に活動をしたワトソンが7年前にその証言を行っている。
その工作とは、原子力の平和利用の意識を作ること。その動きに呼応したのが正力松太郎であった。新聞やテレビが原子力の平和利用を喧伝していく。ビキニ事件決着の1955年の後半、日米は原子力協定に調印し、やがて原子力ブームがやってくる。その2年後、東海村の原子炉に火がともって、日本の原子力開発が動きだしていく。
このように、ビキニ事件と原子力発電所開発は深くつながっていた。このことをめぐって、大江、大石の二人は長時間にわたって語り合う。その大きな流れを本日一本化したのだ。
ぜひ、ご覧いただきたい。
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