残りの日々
このゴールデンウィ-クが過ぎれば、すぐ夏が来る。思わぬ梅雨寒(つゆざむ)が
ないことはないけれど、いつまでもストーブを出したままというわけにはいかない。
それでは、夏炉になってしまう。
夏炉冬扇――時節に合わない無用の長物のこと。
今日あたり、納屋にストーブを仕舞い、扇風機を出すことにするか。
定年になって少しひがみっぽくなった。被害妄想なのか、扉が次々に閉まっていく。
そんな気がしてならない。自分が夏炉冬扇に思えてならないのだ。
体力も知力も半年前と変わらないと思うのだが、定年の「踏み切り」を越えると
まわりの風景が違って見える。
――中年の危機か。こういうマイナスのエネルギーを解消するものとして、
江戸時代は半強制的な「隠居」という制度があったのだろうか。
藤沢周平の『清左衛門残日録』は、三屋清左衛門が52,3歳で隠居するところ
から始まっている。
《夜更けて離れに独りでいると、清左衛門は突然に腸をつかまれるようなさびしさに
襲われることが、二度、三度とあった。そういうときは自分が、暗い野中にただ一本で
立っている木であるかのように思いなされたのである。(中略)
清左衛門自身は世間と、これまでにくらべてひかえめながらまだまだ対等につきあう
つもりでいたのに、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまったようだった。多忙で
気骨の折れる勤めの日々。ついこの間まで身をおいていたその場所が、いまはまるで
別世界のように遠く思われた。》
この文章を書き写しながら私は身につまされた。そうだ、そのとおりだ、藤沢もまた
寂しさをかこっていたのだなと。
あのうるさい中野孝次でさえ「藤沢周平もついに老年を描きだす年齢になったかと、
一種の感慨を抱いた」と書いているほどだ。
だが、この清左衛門は小説の上ではけっして暇にはならなかった。
当主の息子をさしおいて活躍したり、藩の大切なお役目に関わったりして、
隠居としてなかなか往生しない。そればかりか「涌井」の女将みさとの仲や
嫁の里江との戯れなど、羨ましいことが次々とある。
そういえば、この小説の冒頭に掲げられた成句。「昏ルル未ダ遠シ」。
「日昏レテ道遠シ」ではない。人生の終わりが近づいても達成できないという悲観ではなく、日が暮れるまでまだ道は残っている、時はまだある、という意味であろう。
久しぶりに、この休みは藤沢周平をかためて読もうか。
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