生みの苦しみ
なかなか企画がうまく立ち上がらない。主題は決めたのだが、それをどんな切り口でどんな構成で見せるかという具体的な提案がうまく切り出せない。
ひとつはマチスとピカソの応答の主題。この二人の巨匠の間に、作品上の大きな対話があったことを明かす内容を構想している。取り扱う作品も決めてある。この物語の根拠となったアメリカ美術関係者の論文もしっかり読み込んだ。だが、実際のロケを考えるとインタビューと作品しかない。番組を構成する要素はあと資料映像ぐらいだ。これではテレビの番組としては面白くない。いわゆる演出がないのだ。ゴールは見えているのだが、そこへ行くまでの方策が見つからない。
もうひとつは速水御舟。近代日本画の巨匠。今でも人気は高い。代表作「炎舞」を所蔵する広尾の山種美術館は連日おおぜいの観客が訪れている。先日訪問して、客の多さに驚いた。中高年の男女が押しかけている。これほど人気のある画家だから、やりがいがあると分かっているのだが、どう切り込んでいいのかが見えない。
これまでも、御舟の番組は日曜美術館を中心に数本ある。いずれも見ごたえのある作品だ。それと違う切り口でかつそれ以上に面白いものをという要求に、なかなか応えることができない。
番組を制作してきて40年弱。いつもぶち当たる壁だ。企画がうまく立ち上がらない。仮に企画でうまくいっても取材撮影で脱線したり、編集仕上げで暗礁に乗り上げたりで、楽をして作れる番組はない。それは肝に命じているのだが、いざ出会うとへこむ。
それにしても御舟という人物は面白い。電車に足を切断されたときも、尋常でない胆力を発揮している。浅草の実家を訪ねたとき、電車道で両側から電車が来て挟まれた。このままでは頭をやられてしまう。まずいと考え咄嗟に足を投げ出して、一命を取り留めた。左の足首を切断することになるが。電車は緊急停止して野次馬で大騒ぎとなったとき、御舟は早く電車を動かしたほうがいいと冷静に指示したという。
以来、彼は義足をつける。負けん気の強い御舟は足が不自由という理由で同情されたくないと、人一倍よく歩いた。いっしょに居る者も普段は彼の不自由な足などということに思いが行かず靴を脱いだときに片足切断の事実をあらためて知るほどだった。
その彼が、関東大震災に遭遇したのは、上野の美術館。ちょうど初日をむかえた院展が開かれていた。正午前、ぐらぐらっと来て大騒ぎとなった。上野から浅草あたりまでの下町の被害は甚大だった。彼は同行していた義兄と目黒の本宅を目指して歩く。
この話を聞いたとき、私は自分の3・11の体験を想起した。あの日、2時40分過ぎ、私は上野の隣の御徒町にいた。長い揺れが収まったとき交通機関はすべて停まった。仕方がないので、私は目黒まで歩くことになる。途中銀座で1時間寄り道したが、目黒にたどり着いたときは午後8時を回っていた。疲れきった。
この体験があるから、御舟が義足で同じ経路を歩きとおしたと知って驚きを隠せない。しかも、御舟の場合、そのあとも現場をスケッチして歩いたとあるから、その胆力、体力は計り知れない。
気になるのは、この未曾有の災害に遭遇した御舟が、いかなることを感じたか。それが作品に反映されたか否か。なにか大事なことを忘れているのではないか。企画書を前に、今うんうん唸っている。
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