長者丸
めったにテレビに出ない作家のMさんを取材したことがある。10年ぶりの新作を書いたということで、取材に応じてくれたようだ。
連絡をとったとき、自宅は目黒の三田という地名を告げられた。港区の間違いだろうと思って、訪ねて行ったら、本当に目黒に三田があった。目黒川の河岸段丘のてっぺんにあった。高級住宅街だ。山手線で恵比寿と目黒のなかほどに日の丸自動車学校がある。そのあたりが三田の町内となるのだが、戦前は長者丸と呼ばれた区域だ。
ぶらぶらと長者丸の一帯を散歩した。マンションの多い住宅街だが、戦前は10軒ほどの邸宅が並んでいたに過ぎなかった。なかでも、中心にある吉田家の敷地は広大なものであった。本宅以外に東屋や別宅があるばかりか、画家たちの長屋が並び、中央に能楽堂まであったという。当主吉田彌一郎は呉服屋として成功を収めた人物で、芸術にも理解を示し、数人の画家たちを屋敷内に住まわせていた。その面倒をみたのが次男の幸三郎。演劇を研究するため早稲田大学に入ったが、中退し画家たちを指導することになった。そこにいた数人の画家とは今村紫紅、速水御舟、小林古径など錚々たるメンバーで目黒派と呼ばれる。
速水御舟とは重要文化財「炎舞」で知られる近代日本画の巨匠である。今、この人物に関心がある。
昨日の昼過ぎ、御舟の孫吉田春彦さんから来ないかと誘いがあり、日曜だが茅ヶ崎へ飛んで行った。御舟は晩年ここの南湖でよく遊んだといわれる。子孫はそこにいたのだ。春彦さんは現在ギャラリーなどを経営しながら、美術研究家として知られる。うかがうと、ちょうど漆器の個展が開かれていて、作家を紹介していただいたりした。
夕方、時間が空いたところで、御舟のことをあれこれ聞いた。春彦さんの母上が、御舟の次女和子さんである。吉田家では昭和10年に亡くなった御舟のエピソードが今でも語られている。巷間に知られていない面白い話をいくつも聞いた。
和子さんの母、御舟の妻は吉田彌一郎の娘。吉田幸三郎の妹になる。御舟と幸三郎は義理の兄弟であった。この二人は、大正12年9月1日に上野で関東大震災に遭遇する。そして、二人で自宅のある目黒を目指して歩いた。その事実に、私は今注目している。
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