かくも美しく懐かしい日々
休日の朝、よく晴れている。高速道路を行き交う車の音しか聞こえてこない。小鳥たちはまだ眠っているのか囀りはない。
寝床でまどろみながら、ぼんやり湖西の風景を思っていた。
数年前から京都の大学へ教えに行くようになり、帰りはいつも湖西線回りで敦賀に寄った。土曜日に敦賀へ行き、日曜に東京へ戻った。1泊だけ一人暮らしをする母の元へ泊まることにしていた。月に一度だけ帰省する私を母は楽しみに待っていてくれた。
だから、毎年5月の最終の土曜日は敦賀に行くことが続いていた。京都の定宿を11時頃出て、河原町で母の好きな京菓子(今頃なら「水無月」)を買って、1時過ぎの電車に乗った。
「水無月」は初夏に出て来るういろうで、三角形のういろうに小豆の粒がのっていた。歯触りがやさしく母の好物だった。
京都を出て山科、長等山トンネルを抜けると大津。そこは母の実家があり私の生地でもある。琵琶湖が目の前に広がり、左手には比叡山がどっしりと聳えていた。浜大津の民家の甍をしっかり覚えて、母に報告しようと目をこらした。大津をぬけると電車は琵琶湖の西岸を走る。
5月の琵琶湖は黄金色に光っていた。若狭との国境の比良山系が青々と輝いていた。堅田、近江舞子、近江今津、やがて竹生島が見えて来る。島影は降り注ぐ陽光のなかで深緑色していた。週末とはいえ電車は80%の乗車率で、ロマンスシートを一人がけ出来た。ポケットウィスキーを取り出して、ちびちびやりながら湖西の風景を楽しんだ。
芭蕉のあの句を思い出す。
行く春を近江の人と惜しみけり
時々、新京極の映画館で新作を見て帰ることがあると、敦賀へ帰るのが夜になった。連絡がないから心配していたと母が小言を言った。うるさいなあと口答えして、上がりかまちにカバンを邪慳に置いた。耳が遠くなったふりをして、母は「お風呂が沸いているから、はよ入り」と廚に消えた。手だけ洗って、亡父の遺影の前で私は手を合わせた。
なんてことのない出来事だったが、母を亡くし、実家に戻ることも減り、地震騒ぎの慌ただしさが続くと、あの日々が懐かしい。
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