冬ソナの講演
秋に関西のある会合で冬ソナについて講演してくれないかと、依頼を受けた。7年経っても冬ソナへの関心は高いのだ。そこで、私は頭をひねった。
永遠の「冬のソナタ」~メロドラマの真髄を語る~という演題でどうだろう、と主催者に打ち返した。
「冬のソナタ」の魅力はメロドラマであること。これに尽きる。
メロドラマとは、事件、事故、病などによって物語が衝撃的に展開する手法で、観客はそれによって情緒を揺さぶられ深い感動を得る。
このスタイルは19世紀のイギリスで流行り、その後アメリカに上陸し、映画やテレビに広がっていった。
主人公のユジンは、仕事の相手が初恋の男チュンサンにそっくりの男ミニョンと知って恐れ慄いた。運命的なものが近づいていると直感で知ったユジンは避けようと、その仕事から降りようとする。
が、運命は二人を皮肉にもさらに引き付けさせていく。しかも親友チェリンの悪意によって、ユジンは苦境に立たされながら、そのことが返って二人を引き寄せることになる。そういう運命の流れにユジンは大きな不安を抱く。運命の愛が近づいているとユジンは直感するが、そのことを婚約者であるサンヒョクには言えない。言えるはずもない。
避けようと努力して避けることが出来るぐらいなら、運命の愛ではない。一直線に繋がるのではなく、禍福があざなわれて、運命は少しずつ二人をからめとっていく。それが「冬のソナタ」の真髄。
というようなことを語ろうと思うのだ。
ずいぶん以前に購入したピーター・ブルックス著『メロドラマ的想像力』を、再度引っ張り出して読むことにしよう。メロドラマこそが西洋近代文学においてもっとも重要なモードであると指摘する本書は、1976年に発表されるや、たちまち英語圏の比較文学と映画研究の分野に大きな衝撃を与えたと言われている。
私も、ちょうど「冬のソナタ」特集に関わっていた時期で、すぐ手にとって読んだのだが、細部はかなり忘れているから、もう一度読みこなして、再度冬ソナ論をしっかり構築しよう。
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