熱い思い
今朝の朝日新聞。大江健三郎・定義集の「人間らしさ万歳への共感」の記事を読み、大江さんの熱い思いを感じた。
エッセーは、3月11日の体験から始まっている。そこから、第五福竜丸の乗員で、ビキニで被爆した大石又七さんへ言及していく。大江さんと大石さんの対談を、実は3月の月末に予定して、私は準備をしていたのだ。対談場所、日時を設定し、3台のカメラ、音声、照明の手配も終わっていた。事前に、私は成城のお宅を訪ねて、大江さんと内容的な打ち合わせも終えていた。
そして、3月11日。大江さんは、「大きい横揺れに宙吊りになった気分」を体験する。途轍もない大災害が勃発した。地震、津波という天災だけでとどまらず、さらに深刻な原発事故も発生したのだ。
対談収録に参加する予定だったカメラマンたちスタッフは一斉に現地取材へ投入され、会場も不具合があって、対談は延期となった。
だが、本日のエッセーでも大江さんはけっして対談を諦めていないことを明言している。
むろん私も諦めていない。いや、むしろ今こそ大江さんの、大石さんの声が聞きたいと思う。被爆国の日本が、その原点であるヒロシマ・ナガサキを戦後しっかり受け止めてきたのだろうか。ビキニで被災した福竜丸のことを日本人はしっかり思想化してきたであろうか。
この今朝のエッセーで、大江さんはフクシマと表記していることに注意したい。広島の出来事をヒロシマとして考えてきた大江さんが、福島をフクシマと考えることの意味。重大な問題意識を感じ取る。
大江さんは、今回の事態をただならぬ静けさで受け止めている市民の奥深い感情に注意している。
《誰もが見ていたはずのテレビ広告、みんなで頑張ろう日本!の呼び掛けとは別の、もっと個人の深みに根ざしている、しかもこの国・この国びとの「喪」の感情、それに重なっている色濃い不安、そしてよく自制している静けさ。》
「自制している静けさ」という言葉が胸を射抜く。
今こそ、大江さんの言葉が聞きたい。そう願って、5月実現に向けて、私は準備に入った。
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