なゐ振る2
深夜2時37分、神奈川を震源とする地震があって目が覚めた。厚木などが震度3だという。これまでなかった神奈川という点が不気味だ。目が冴えたので、偶感でも書いてみようという気になりごそごそと起き出した。
枕元には、田辺聖子の新刊『古典まんだら下』がある。昨夜、寝しなに読んでいた。日本の古典文学を田辺流に詠み解いたエッセーだ。肩の力を抜いた言葉遣いで、それでいて深い知性を感じさせる文章。田辺聖子はすごい。
この古典読み解きのなかに、「この世の地獄を見た」という章題で「方丈記」が取り上げられている。
鴨長明のこの文章は13世紀に書かれた。長明の生きた時代は政治的に激動であったが、天変地異もさんざん起きた。田辺は、保元や平治の動乱のことなど触れず、「世の不思議」だけを追う長明の姿勢を評価している。不思議とは、安元の大火、治承の辻風、元暦の大地震、などの天変地異である。
元暦の大地震の件(くだり)は、まさに先日体験した3・11の大ナマズと変わらない情景が目に浮かんで来る。
《おびただしく大地震振ること侍りき。そのさま常ならず。山は崩れて河を埋づみ、海は傾きて陸地をひたせり。土さけて水わきいで、巌われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船はただよひ、道行く馬は足のたちどをまどはす。》
海は傾きて陸地をひたせり――まるで先日東北地方を襲った光景と変わらないではないか。長明の時代、この天変地異がひとつで止まらず、次々に起きたというのだ。
先日、句会で地震の古語が話題になった。ぢしんでなく「なゐ」と発音する。なゐは揺れるでなく振ると表現するということが話題になった。それを思い出して、俳句古語辞典を引くと、なゐの用例がいくつもある。阿波野青畝の句もやはり方丈記に言及していた。
夕顔や方丈記にも地震のこと
青畝が活躍したのは昭和初年だ。その頃もたびたび大地震が襲っていたのであろう。
しかし、今回の地震と方丈記のそれと大きく違うことがひとつある。それは原発事故という現代の「不思議」が重なったことだ。
これは天災でなく人災であるから不思議とは言わないというむきもあるだろう。だが、人類が制御することができないパンドラの箱を、何の根拠もなく開けてしまうのは、不思議としか言いようがないのではないか。
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