たえてなく
明け方に見た夢は、我が家が海のそばに建っていた。娘が呼ぶから窓から裏を見ると、海の水が窓下まで来ていた。満潮らしい。そして、水中にはおびただしい魚があちこちから寄っていた。なかに古代魚の姿も見える。近在の漁師らしい若者が海に入って、魚の鼻面をこつこつ蹴っていた。豊かな海、という印象が残った。
目が覚めて時計を見ると5時だった。枕元に置いてあった斎藤環の新著『「社会的うつ病」の治し方』を読む。現代文明の病理の原因に”操作主義”というものが根強くあるという論にひかれ30ページほど読み進めたが、またまどろんで夢を見た。
敦賀の故郷の実家だった。母もおらず、裏の小川だけが雪解けの水を満々とたたえて流れていた。春先で、庭の木々も赤くなっている。おだやかな風が吹いている。帰りたい。
車の音で目を覚ます。今見た夢と双葉町のお年寄りの姿が重なった。福島原発で追われた人たち。なかに家に舞い戻って隠れ住んでいる人がいるという。飼っている牛の世話であり、庭の手入れを理由に残っているというではないか。自分が生まれ育ったこの地を離れれば、いつ帰って来ることができるだろう。おそらく汚染区域として10年20年帰れないかもしれない。ならば、いっそこの地に止まって・・・。
私とて、あの原発銀座のふるさとの町に帰れなくなればどうするだろう。
寝床のなかで、唱歌「故郷の廃家」を口ずさんだ。幾とせふるさと来てみれば 咲く花鳴く鳥そよぐ風 窓辺の小川のせせらぎも 馴れにし昔と変わらねど 荒れたるわが家に 住む人たえてなく
荒れたるわが家に 住む人たえてなく の箇所で思いが溢れてくる。遠い日の家族も離散し父母も他界し、残された故郷の廃家には住む人も絶えてしまっていない。そういう意味のはずだが、私は最後のフレーズを「住む人も絶えて、泣く」と聞こえてならない。
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