最新の時代区分
こんなことでは駄目だ。しっかり気を強くもってと言い聞かせるのだが、その聞かせたはずの自己の内奥からどぼどぼと暗いものが吹き出て来る。
福島原発の危殆に瀕した状況を見ていると、暗澹たる思いになる。
戦後の社会を3つの時代に区分したのは、1990年の見田宗介だった。敗戦から60年代までを「理想の時代」。60年から70年代半ばまでを「夢の時代」。1975年から90年までを「虚構の時代」とした。
1期はくらしを建てるために理想をもとめて走った時代、2期は高度成長の夢に生きた時代だった。そして3期の終わりごろにバブルが弾けるのだが、この頃から人々は演技するようになってきたと見て、虚構の時代と見田は把握したのだ。
其の5年後の1995年に、見田の弟子にあたる大澤真幸が90年以降を「不可能性の時代」と規定する。冷戦が終わりグローバル化が進み、不況が覆って閉塞感が続く時代だ。こうして、戦後65年は4つの位相を見せながら変遷してきた。
そして、2011年。天災を契機として大変動が起きる(と予想される)。5つめの時代区分が始まるのだ。これまでの戦後の歩んで来た経済成長一辺倒の行き方を大きく揺さぶられる。無限と見られた物質は限りあるものであることを身をもって知ることになり、大地を乗せた地球もまた不変なものでなく限りあるものだと見切った認識が前提となる時代が来るのだ。見田や大澤のひそみにならって、これからの時代を何と呼べばいいか・・・。
想像はつくが想像したくない。
しかし、自分の青春を送った時代は夢の時代であったと聞かされると相当の違和感をもつ。あんなに血みどろに生きたのに、豊かで華やかな夢を食い続けたと言われると。何か違うよなあと不平のひとつも言いたい。
仮にそうであったとしても、理想も夢も終わった。ステージはライトダウンして暗転か、終幕か。
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