ドキュメンタリストの死
70年代初頭から「苦海浄土」(70年)、「記者ありき 六皷・菊竹淳」(77年)などの骨太な作品でテレビドキュメンタリーの世界を切り開いてきたRKB毎日放送の元ディレクター木村栄文さんが亡くなった。76歳。
一つ上の世代のドキュメンタリストで、私らは強い影響を受けた。
1994年、広島にいるころに私は木村さんから手紙をいただいたことがある。おりしも、「もう一度投げたかった~炎のストッパー津田恒美の直球人生」と「響きあう父と子~大江健三郎と息子光の30年」という番組を立て続けに作ったばかりのときだった。
博多の知人から、この番組を制作した人はどんな人って、木村さんが聞いているよと知らされた。とくに「響きあう父と子」を高く評価していただいたと聞いて嬉しくなり、礼状を書いたところ返事をくれた。
木村さんはこんなことを書いてくれて私を感激させた。「あの2つの番組のような傾向の番組を作れるプロデューサー、ディレクターは最近、極端に減ったと思います。個人の思い入れを、稚ないものと見做すオトナが増えたのでしょう。つまらんことです」
この手紙に先立って、氏は毎日新聞の地方版で、この作品のことをこう書いてくれていたそうだ。
《NHK広島制作のNHKスペシャル「響きあう父と子」は感動的だった。大江氏の言葉は視聴者の心に染み、光さんの無垢な気持ちと才能がよく伝わった。なにより取材者のやさしさ、物静かさが印象に残った。障害児をかかえた親御さんの多くが、この番組に共感され、やはり障害児(といっても29歳の娘だが)を抱える我が家にも何本かの電話をもらった。光さんという障害者にとって、大江家の環境は恵まれている。この恵まれていることは、実はドキュメンタリーの制作にとって厄介なのである。他愛ない話だが、障害児を抱えた家庭は中流以下の庶民的なであるほうが視聴者の共感を呼びやすい。・・・》
実は、木村さんにも障害をもった優ちゃんというひとり娘がいて、名作「あいらぶ優ちゃん」という作品を制作しておられるのだ。番組の骨法をよく見抜いておられることに感心した。
晩年、氏はパーキンソン病と闘う日々だった。それでも再度ドキュメンタリーを創りたいと闘病していたと聞くと、今の自分の甘さを叱咤されているような気がした。
美しい早春の空がある。鳥のさえずりが楽しい。人の心に望みの灯をともすような番組を作りたい。
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