原発と原爆
たった1字しか違わないのだが、この2つの言葉は戦後長くいっしょに論じられることがなかった。
広島、長崎の原爆の被害は語っても、資源小国の日本には原子力は欠かすことができないものだと、原子力を否定的に語ることは少なかった。
しかし、今回の津波地震による福島原発事故は、日本人の心胆を寒からしめた。原爆のように核爆発をさせなくても、核のチェーン・リアクション(連鎖反応)は時にはほとんど制御不能になるということを、今回つくづく思い知らされた。
そして、使用済み核燃料というものの危険性を今回ほど知った事例はない。
このあと、原発をめぐる論議はどう推移するだろうか。むろん、エネルギー政策の大転換を求める声が大きくなるだろうが、代替のエネルギー事情、それと経済活動の縮小を日本人は受け入れることができるだろうか。
そういう意味で、今回の計画停電の経験は大きい。生活の便利より安全という考えがかなり広がったのではないか。だが、のど元過ぎれば熱さを忘れるということもあるしなあ。
ちょっと、視点を変えて、今回の原発事故を世界はどう見ているだろうか。地震や災害の多い日本に起きた固有のこととして見ているだろうか。いや、人智では考えもつかない事故が起きたとき、果たして、人類は核を制御できるか。できないものと共生していくことはできないという、国際世論に変わっていくだろうか。
これまで日本は、唯一の被爆国といいながら、一方で原子力の開発を行うということで、その大義を徹底することができなかった。核の傘議論においても然りだ。
今後、核兵器廃絶だけでなく核廃絶という議論が大きくなることは自明だろう。
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