蒼穹の彼方へ
画家高山辰雄が戦争を潜り抜けたとき、33歳だった。敗戦の年の5月の空襲で、それまでの作品をみな焼いた。
8月15日、かんかん照りのなかで玉音放送を聞いた。生き延びて、絵が描けると思った。それまで、死ぬことばかり考えていたと、高山は語る。
「臆病者と言われようと卑怯な奴と考えられてもいい。要するに絵さえ描ければいいのだってことしか考えていなかった。絵を描くことだけが私の仕事だ。ただそれだけだ。」
その後の言葉に胸が突かれる。
「死ぬことも嫌だし、生きることも辛いんだ」
あの戦争の緊張のなかで、毎日、死ぬことばかり考えていた高山。そのなかにあって、死ぬのは嫌だが、生きるのも辛いと告白している。
現在の状況に似ているではないか。毎日、福島原発の薄氷を踏む日々。言い知れない圧迫感のなかで、懸命にこらえているわれ等。
宇宙には果てがあると、高山が語ったとき、編集者が尋ねた。
「果てがあることが分かっているのならば、その外側があるのではないか」
高山が言った。
「その外というのは、人には見ることも聞くことも叶わない、この世のものでは計ることができない世界なのだよ」
その叶わない世界もわれらの世界も貫通する、何か大いなる意思というものがあるのだろうか。
今は、その大いなるものと合一したであろう高山に今回の出来事についても聞いてみたい。
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