日月星辰
2007年に死去した日本画家、高山辰雄のアートドキュメンタリーの企画を立てている。
実は、この取材を御徒町で行っているときに、あの「大なまず」に遭遇したのだ。3月10日の午後3時過ぎ、丸栄堂という大きな画商さんの事務所でのことだ。
高山辰雄の画業の数々を聞き終わった直後だった。
高山は95歳で天寿を全うしている。昭和6年に、東京美術学校日本画科に入学した。在学中から松岡映丘の画塾に入り、師事した。美校の卒業制作『砂丘』は、砂の上に座るセーラー服姿の若い女性を俯瞰的に描いた洋画風の作品。青春を感じさせる溌剌とした作品だが、後の高山の作風とはまるで異なる。
学校を出ても、高山はなかなか芽が出なかった。
戦争が終わって、ゴーギャンの伝記を読んで感動、かつ長流という独特の筆に出会うことが彼の才能を開花させていく。昭和21年、第2回日展に裸婦を描いた『浴室』を出品し、特選となる。独自の幻想的な画風が成熟していく。
彼は、いわゆる花鳥風月の絵は描かず、存在の意味を問うような「穹」のような主題を好んで描くようになる。「日月星辰」という星や太陽の時間という壮大な宇宙観を可視化させていく。昭和57年、70歳の時に文化勲章を受けることになる。
2007年の9月に、画家は死ぬが、その1年前に、病で不自由な体を押して描いた作品がある。日展に出品された「自寫像2006」だ。長い画家人生のなかで、唯一つの自画像である。
不思議な自画像だ。茫洋と霞んだ風景のなかに、杖をついた画家らしき老人が立っている。顔は例によって鼻梁らしき縦線があるだけで表情は分からない。天空に小さな弱々しい太陽があるのみ。
一見、悲観的な画像に見える。
だが、身近に居た人は、これは画家が希望を持とうとした絵だと断言した。
なぜなら、人物の足元は明るく、がっしりとした脚と足が描かれていたからだ。
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